吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

2020-01-01から1年間の記事一覧

自分のために生きるということ

ここ4-5日、御仁とのことでもやもやしており、少し気持ちを整理したく文字にしてみたい。 御仁と過ごすようになり1-2年程の頃、何かの折に「俺の機嫌なんか取る必要ない。」と数回言われたことがある。何を指して「私が御仁の機嫌をとった」ということなのか…

人に癒されるということ

機能不全家族の中で傷ついてきた自分が、様々な人に出逢いながら、人に癒されていることを実感する。 これまでも毒親に関する本は読み漁ってきたが、9月に父親と対決した際に、改めて毒親蔵書としてAmazonの古本で以下を購入した。 ダン・ニューハース『不幸…

まあいいんじゃないの・・・

前回記事「9月26日:毒親との対決」を投稿してから、随分久しぶりである。 毒親との対決結果の詳細は後日とするが、簡潔に表現するならば、 私、もう大丈夫な気がする。なんとなく・・・。 私にとって大丈夫とは何かというと、 自分を否定しないこと これま…

毒親との対決:自分を伝える=自分を肯定する

前回書いた毒親との対決として、私は父に手紙を書いた。 手紙を書くにあたり、スーザン・フォワード著「毒になる親 第13章:独立への道」が役にたった。 この本では、毒親との関係の中で自分に起こった出来事を伝えることは、自分にとって重要なことだと述べ…

久しぶりのDV ~毒親との対決~

先日、久々に父がブチ切れた。 私の言葉をきっかけにブチ切れて、液体の入った瓶を投げつけ、怒鳴り散らした。 父は80半ばであるが、昔からDV男である。 気に入らないことがあると怒鳴り散らし、お皿を投げつけた。それに抵抗もせず片付ける母親の姿を何度も…

歩々是道道場

「鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」 最近出逢い、深く心に沁みている言葉だ。 意味は、 「口に出してあれこれ言う人よりも、口に出さずに内に秘めている思いの方が切実で、心の中では深く思っていることのたとえ。」 秋はわたしにとって修行の月である。 …

自分を観る:坐禅

「自分を支える」「自分を中心に」「自分への思いやり」等など。 久しぶりに書くブログのタイトルに「自分」を入れようと思うのだが、なかなかぴったりくるものがなく、しばらく想いを馳せた。 最近「エーリッヒフロム著:愛するということ」という本を読ん…

反応しない練習

『反応しない練習』草薙 龍瞬著を読んでいる。 AC的に自分を守る力がやや低下している時には、人の言動が直球で心に刺さってしまい、傷ついたり、反射的に攻撃してしまったりということがある。 そんなわたしは、動じることなく、『当意即妙』で冷静に対応で…

他者批判と自己批判

家籠りの時間が長いせいなのか、時々いらいらすることがある。 兄弟姉妹の毒について以前の記事で触れたことがあるのだが、最近の私のいらつきのひとつは姉に向かうことがある。 私が姉を見ていていらついたりする時というのは、常にその言動を監視してジャ…

家族全体の毒

3週間前の下書きを改めて読むと、下記のように綴っていた。 『最近は罪悪感で自分を責めたり、居所のなさに不安になることがなあまりなくなったようで不思議だ。何が功を奏したかわからないだけに、また何かの拍子に罪悪感にさいなまれたり、自分を責めて苦…

渇愛ではなく慈愛

恋と愛の違いは、以下のようなところにあるらしい。 恋とは、「恋が叶う」というように、相手を愛するように見えて、実は相手が自分を愛してくれることを望む。つまり渇愛。 愛とは、自分が愛して完結し、自分が愛されることを望むものではない。つまり、愛…

八風吹不動天辺月

「どのような風が吹こうとも天に輝く月のように、清々と生きようと説く禅語。自分を見失いそうになったときは、天の月の視点から俯瞰で眺めれば、出来事を冷静に受け止められる。」 私の日常的なバイブルは禅語であり、「禅語百選」なる書物を常に携帯してい…

ワンコンシャス:One concious

これまでは禅語をタイトルに和に拘ってきたが、今日はいきなり横文字を用いてみる。 先日から読み始めた書籍で「ワンコンシャスone concious」という用語を知った。 「ワン」 とは「 1つ」ということで、 自分 も まわり も 大差 など なく( 本質的 には …

無明

「煩悩があるのも、かえって人間味があっていいのではないか。煩悩があってもよし、なくてもよし、こういう世界が空という世界ではないか。」 前回の記事でも触れたが、久しぶりの父親の毒にさらされてから精神的なエネルギーが低下している。そのせいか、や…

是亦夢非亦夢(その2)

是亦夢非亦夢とは、是とか非とかの相対的な知識や判断の執着から脱却した執着のない、さとりも学識も地位も忘れ去った境地とのことである。 今日は久しぶりに父親の毒にさらされ疲れ果てた一日であった。両親の介護をめぐり、家族で集合して話し合う場面で、…

禍福は糾える縄の如し

前回の記事を書いた際は、御仁の体調不良や知人が倒れたことに慌てた自分が、いかに一期一会の覚悟が薄れていたかを思い知らされた。そのためとにかく逢える時に逢おう、逢えた時間を大切にしようと思ったところに、コロナ騒ぎが浮上した。持病を持つ御仁に…

一期一会

一期一会は、良く知られた禅語である。私にとっては、特に大切な人が病気を抱えているため、逢っている間はこれが最期かもしれないと常に覚悟して大切に過ごそうと、肝に銘じておきたい心持のひとつのはずだった。しかし実際は、元気そうにしている姿を何度…

是亦夢非亦夢(その1)

今日は冷たい雨が降っている。 今晩は逢いたい人に逢えるはずが、先方の急遽の仕事のために逢えなくなった。その連絡に際し、相手に罪悪感を感じさせないよういい人の反応をしなければと思い、了解した旨さらりとSNSに返信した。 そこから私のもやもやした悲…

放下著と両忘との間

月日が経つのは本当に早い。 ブログを始めた時には、毎日書くことを目指していたけれど、あっという間に年を越していた。毎日書くとか自分に決め事をして、その通りに実行できないと、自分をだめだなとジャッジしてしまうという性質があるが、自分をジャッジ…