吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

家族全体の毒

3週間前の下書きを改めて読むと、下記のように綴っていた。

 

『最近は罪悪感で自分を責めたり、居所のなさに不安になることがなあまりなくなったようで不思議だ。何が功を奏したかわからないだけに、また何かの拍子に罪悪感にさいなまれたり、自分を責めて苦しくなったりするのではないかと想像してみたりするが、あまりそいういう不安も襲ってこない。

ACの辛さは、誰に責められるでもないのに、自分が自分を責めていることだが、そろそろ自分はそこから抜け出せたかなと思う。自分を責める気持ちや罪悪感の元には、子ども時代の体験が影響して自分の中で自責的妄想スイッチが常にONになっていることだと思う。けれど、そろそろ今ここ以外の過去や未来については、瞬間瞬間に手放していけそうに思う。』

 

3週間前は、どうやら心理的に安定していたようで、もはや自責的妄想スイッチ自体も手放せそうに感じていたようだ。

感情≠自分 感情は浮かんでは消えるものだから、負の感情も通り過ぎるのを待てばよいと言われているが、自分が渦中にいるときは、まったくそのようにも思えない程苦しいこともある。しかし改めて前述のように自分の感情を文字を通して客観的にみてみると、感情が流れ変化していることが見て取れる。

 

3週間前の平穏な感情とは別に、GWは自責的妄想スイッチがONになっていることが多く、苦痛の時間を過ごした。GWの出来事で、私の自責的妄想スイッチがONになる刺激は、親だけではなく兄弟姉妹からもやってくるということを再認識した。

 

今から振り返れば、幼少期の過去から兄弟姉妹との間で、自分がしんどい気持ちになることはあったものの、それを毒という程までには認識していなかった。また、毒親の影響による生きづらさの自覚は、他の兄弟姉妹からは聞くことがなかったため、基本的にな私の視点は毒親対自分という構造で現象を見ていた。また親毒の衝撃が大きい分、自分が毒親に育てられながらも生き延びることができた背景には、兄弟姉妹の支えがあったおかげとすら思ってもいた。

しかし、今回改めて密接な時間を過ごす中で、何度も不快な気持ちに陥ることがあり、それを俯瞰的にみていると、兄弟姉妹の言動は意識的・無意識的かは別として、表面的には穏やかな口調であっても、じわっとくる攻撃性を帯びたものが混じっており、そのたびに私は胸が刺されるような苦痛を味わうというパターンがあることに気づいた。当然といえば当然のことであるが、つまり親の毒は、私だけではないその子ども達を含む家族全体を影響を及ぼしていたのだ。私自身が毒親の影響で生きづらさを抱えながらも、子どもに毒を与えそうになるのと同様に、兄弟姉妹は生きづらさの自覚はもとより、毒的なパターンを持っているということに気づいた。

 

特に今回の家族のテーマは、「親の介護を皆で頑張ろう」という「よき子ども」であることが暗黙の了解であったこともしんどさを増した。私は3人兄弟の末っ子であるため、長女からの圧力には基本的に屈する態度が必要だった。私は毒親から逃れるべく、高校卒業と同時に家を出た。一方すぐ上の姉は体が弱かったせいもあるが、人生の選択を親にコントロールされ、私から言わせれば、ほとんど人生を親に搾取されている人のように見えている。しかし姉にとっては、毒親という自覚はなく、常にいい人をやっているのだが、時折無自覚ににじみ出る苦痛の矛先がこちらに向かってくるのを感じてしまう。

 

このような家族のダイナミクスを久しぶりに感じたのだが、今から思えば昔からよく経験したことだった。しかし、最近は別々に暮らして距離を置いていたので、あまり苦痛を感じさせられることもなかったので、ちょっと忘れていただけなのだ。

子どもの頃から私がさらされてきた毒は、親だけではなく、親の毒にさらされながら形成された兄弟姉妹関係を含む家族全体の病みだったのだ。

毒親に傷つけられながらも救ってくれた兄弟姉妹に感謝する分、兄弟姉妹間で不快な感情が沸いた時には、自動的に自責の念に駆られるところがあったことを思い出した。私はこのGWに自責的妄想スイッチがたびたび入り、良い行いをしないと兄弟姉妹に責められるのではないかとびくびくしている自分を感じ、疲労困憊だった。

 

しんどかったが、前向きにとらえると、両親の毒からは意識的に避難することができるようになっていたが、それに加えて今後は兄弟姉妹の毒に無防備にさらされることなく、俯瞰的に捉え避難することができるようになる。