吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

自分を観る:坐禅

「自分を支える」「自分を中心に」「自分への思いやり」等など。

久しぶりに書くブログのタイトルに「自分」を入れようと思うのだが、なかなかぴったりくるものがなく、しばらく想いを馳せた。

 

最近「エーリッヒフロム著:愛するということ」という本を読んだ。このようなタイトルはあまり積極的に手に取らないのだが、Amazonで偶然目に留まり、書評を見るうちに興味を惹かれ手に取った。これは「愛」という言葉がテーマではあるが、人としての存在のあり方を示すものであり、一般の人にはもちろんだが、ACの処方箋としても役に立つと感じた。

 

心理学的な本も禅の教えも結局最後は同じことを伝えようとしているのだと思うのだが、端的にいうと「自分は自立して自分として存在すること」であり、愛について追記すると「自分が自分で居られないと人を愛することはできない」ということだ。AC的に言うと「自分の世話は自分ですること」「人に何とかしてもらおうとしないこと」だ。一人で居られるための修練として、一日2回くらい20分くらい何もしないで自分と向き合う時間を毎日もつことが書かれている。これって坐禅と同じことを言っているなと思い、著者紹介を読んでみると、やはりフロムは禅にも通じていることがわかった。

 

書評でも多くの人が指摘しているが、フロムのいう愛とは「偶然落ちるものではなく、技術」であり、だからこそどうしたら愛されるかではなく、自分自身が愛する技術を身に着けるためにどうするかを書いてある。愛を技術ととらえるからこそ、理論を知り技術として身に着けるための修練が必要であり、それは気が向いた時にということではなく日々必要であり、最終的には誰かだけではなく人類に対する愛に通じるということだ。私にとっての救いは、ACだから愛することが苦手だ、過去のトラウマと向き合いどうやってACを克服しようかと途方に暮れるのではなく、修練すればよいのだと思えることだ。それは料理が苦手な人でも、毎日修練で料理の技術を磨けば、その技術が身につくということと同じなのだ。

 

フロムに励まされつつ、気分で行っていた自宅での坐禅を自分と向き合う日々の修練として朝晩の日課にしようと試み中である。1回平均15分くらいの時間、客観的に自分を観察してみると、意識が何度も何度も自分を離れて、他の用事のことを考えたりしている。それに気づいた時に、16回呼吸を数える間だけでも意識が自分を離れないように集中しようと自分に指令を出してみる。意図的に自分に指令を出しているこの短い時間でさえ、気をぬくと自分の意識が自分から離れている。改めて、日常いかに自分以外のところに自分を置いているかということが理解できる。

 

思い返せば自分の行動基準はこんな感じだろう。

 「あの人はこう思うだろうから、こうしよう。」

「こういう時はこのように行動することを人々は望むだろうから、私は苦痛だけどそうしよう。」

「当然こうすべきだから、こうしよう。」

どれも判断基準は自分以外だ・・・。

 

何事も学ぶ時には、まず現状を知ることから始まる。そう思えば、自分を客観的に観ることで、自分の現状はよく理解できた。次のステップとして、日々坐禅も含めて自分を観るという修練を積み、自分の中心から物事を捉え行動できることを少しずつ増やしていこうと思う。

 

AC的には、人への配慮や思いやりと、自分を中心に据えることとのバランスが最も難しい。人の感情と自分の感情の区別がつかないことがあるからだ。

しかし、「あの人が悲しまないようにこうしよう。」というのも、自分が本当は嫌だけどそれが相手のためにするという自己犠牲的なものではなく、自分の中心から望むことであれば、そうすればいいと思う。

 

その区別が難しい故に、常にTry&Errorで修練あるのみ。

そういう修練の場は日常の些細な場面にたくさんある。

例えば、御仁のFB投稿の内容に嫉妬の感情が浮かんだ時、「いいね」を押すかどうか毎回のように悩む。その場面での自分の声は2種類あり、こんな感じだ。

<他者軸>

「嫉妬で押さないなんて、未熟な人間だ。立派な人を目指すなら押すべきだ。押さなかったら、御仁が心配するから押したほうがいい。」

<自分軸>

「嫉妬で押したくないという気持ちなら、無理して押すことないじゃない。自分がいいねを押さなかったって御仁が心配するなんて勝手な妄想なんだから、自分の素直な気持ちで行動したらいいよ。そもそもいいねボタンに配慮っていらないでしょ。」

 

書けば書くほど些細だけど、その渦中にいる自分にとっては毎回大ごとに感じられるから滑稽だ。


俯瞰で自分を観る練習、こうして書くことでさらに客観視する修練により、軽く笑い飛ばして流せる日がきっと来る。


変化は、毎日毎日少しずつ少しずつ・・・。