吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

放下著と両忘との間

月日が経つのは本当に早い。

ブログを始めた時には、毎日書くことを目指していたけれど、あっという間に年を越していた。毎日書くとか自分に決め事をして、その通りに実行できないと、自分をだめだなとジャッジしてしまうという性質があるが、自分をジャッジすることは手放すと決めている。それが『放下著』という禅語であり、とにかく余計なものはとことん手放し、引いてみることである。

長い間、AC的生きづらさを抱えてきた私が『放下著』を実行するにあたり、もっとも重要で手ごわい相手は誰か。ひと昔前の私だときっと「他人」と答えたことだろう。しかし今の私は「自分」と答えるだろう。以前の私は対人恐怖が強かったので、自分は「他人の評価」を恐れているのだと認識していた。一方で今の私は自分を批判する声とは、他人のものではなく、私自身の声だということがわかる。以前からなんとなく、沸き起こる批判の声は他人ではなく、自分ではないかと薄々わかっていたのだが、漠然としていて苦しかった。それは親の批判を先回りするという癖からきている私自身が自分を批判したり攻撃していていたのだ。このことを理解したからといってもすぐに自己批判を止められたわけではないが、認識できたということは私が生きづらさから脱するプロセス上、とても大きな前進だった。見えない敵と戦うのは恐怖だし勝てないけれど、相手がわかれば攻略法を見出しやすいからだ。

自分が攻略する相手は他人でなく自分であることがわかったことで随分楽になった。これが理解できたことによって『誰も私を幸せにすることはできない。私を幸せにできるのは私なのだ。』とうことがわかったと同時に『私を傷つけていたのは私だった。誰も私を傷つけることはできない。』ということが分かったことで楽になった。もう少し正直にいうと、私は誰からも傷つけられないということに安堵があった一方で、表面上は一匹狼的に自立的にふるまい男勝りを自称していた自分であるが、本当は『誰かによって幸せにしてほしい』という気持ちがあったので、『誰かによって幸せにしてもらうことはできない』という現実は、とても心もとない不安な感覚だった。私が私を幸せにすることができるのか不安だった。

パートナーと一緒になった時には、子どもの頃からの渇望的な寂しさから解放されて自分は大丈夫になった気がしていた。けれどそれは自分の心の穴を、他人に埋めてもらおうとした共依存関係であり、本当の回復ではなかった。事実パートナーとはよく衝突した。衝突するタイミングは、相手が忙しかったりして自分にかまってくれないという状況の時だった。長い間、私自身の心理的問題だと思っていたが、ある時ACの本に出会い、これは共依存というお互いの問題なのだということを理解した。

毒親との関係からくるAC的な生きづらさは、毒親から逃げるという方法がある。私は高校卒業後には進学を盾にして家を出たので距離はとれたといえるが、実はパートナーは第二の毒親的存在なのではないかと最近思う。20年程不穏な関係を続けている。この不穏な関係の中に共依存的な二人の闇が潜んでいて、不穏なのに離れないことで精神的な何かを満たしていたのではないか。3-4年前までは、そんな感じがあり離れることを考えたことがなくはないが、本気さがなかった。けれどこれまでの述べたような私の回復のプロセスの上では、もう私は一人で大丈夫な気がしている。もはや不穏な関係の中に自分の居場所の安心を感じることを卒業できる。前向きな場所でもっと自分を解放して輝かせる力、自分で自分を幸せにする力があると思えるようになりつつある。自分を攻撃しようとする他人から、自分を守る力がついたように思う。相手に私が何とかしてあげないとという共依存的な存在を手放す時が来たように感じる。

少しだけ迷いがあるとすれば、パートナーが発する言葉に「いつでも切ってくれていいから」というのがある。この言葉によって「私は悪者」という私の批判的感覚を芽生えさせる。これこそは彼が私に対して共依存の関係にある象徴的な言葉だとみることもできるし、この言葉に揺らぐ自分はまだ共依存から脱しきれない何かを抱えているのかもしれない。AC的性質には、物事を白黒はっきりさせようとして、だめと思ったらシャッターを下ろしてばっさり切るという側面がある。それに対し『両忘』という禅語の示すように物事の両端ではなくグレーの部分を大切にするようにと恩師によく諭されるのだ。共依存からの離脱と、シャッターを下ろすことの違いが今はまだわからない。グレーを大切にするというのは、私が共依存のパートナーから避難せずに受け止めよということだろうかと考えこんでしまう。この点についてコメントいただける方があれば是非お願いしたい。