吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

毒親との対決:自分を伝える=自分を肯定する

前回書いた毒親との対決として、私は父に手紙を書いた。

手紙を書くにあたり、スーザン・フォワード著「毒になる親 第13章:独立への道」が役にたった。

この本では、毒親との関係の中で自分に起こった出来事を伝えることは、自分にとって重要なことだと述べられている。そして、伝える時には、口頭であっても手紙であっても以下の4点を含めるように薦めている。

 

1.あなたが私にしたこと

2.その時の私の気持ち

3.そのことが私の人生に与えた影響

4.現在のあなたに望むこと

 

私は父への手紙を、この4つの項目にそって書いた。

そして手紙の最初に、これを書くことは、父に謝ってほしいわけでも、責めたいわけでもなく、ただ起こった事実を伝えたいためであることを明確に記載した。

特に1-3は、感情的にならずに、過去に起こった事実として淡々と客観的な事実として表現するよう意識した。書きながら、過去の感情を思い出しわずかに涙がにじみそうになることもあったが、恨みではなく、事実を俯瞰的、客観的に書き、伝えることに注力したことで、感情は思った程波立たなかったように感じた。

 

書いた手紙は実家に居る姉に託した。

書き終えた時は、とても気持ちがすっきりしたように感じていたが、手紙が自分の手元から離れたとたん、不安が湧いてきた。

あのような内容で父に伝わるだろうか、父は憤慨するのではないだろうか、いや途方に暮れて落ち込むのではないか等等・・・。

 

このような感情があれこれ沸いてきたところで、「いや待てよ。これが私の妄想癖だ。止めよう。」と自分を俯瞰することに注力する。わたしの身に起こったこと、起こったことで私が感じたこと、私の人生で影響を受けたこと、どれもすべて私にとっては事実であることに変わりはない。そのことを父や私以外の人がどのように感じても自由であり、そのことに私は関与できないのである。

そこで改めて、幼少期から父の顔色を伺いながら生きてきた自分が、その後に他人の顔色を伺い怯えながら生きてきたこととが、客観的な事実として理解されたと同時に、自分軸で物事を考える時、そこに他人の関与の余地等ないのだと理解した。そして私が自分軸でやることに、他人がどのように感じても自由であり、自分がそこに関与できないならば、そこに怯える必要はもはやないということに気づく。

手紙が手元から離れて日にちがたつにつれ、手紙の内容に対する父の反応等どうでもよくて、自分に起こった事実を父に伝えることができたという事実だけが重要であり価値があることであったと感じるに至った。

 

余談であるが、

私が手紙を姉に託した翌日、父に渡されるはずであった。しかしその日、朝から父がストレスフルな発言をしていたために、今日は渡すのを控えようかという相談が姉から来た。私はどちらでもいいから、姉の判断に任せるよと伝えた。しかしそこで、改めてそういうことだと思った。つまり、私が手紙を手放した瞬間、父に対する罪悪感にも似た感情が沸いたことと、父の心情を気遣い渡すことを躊躇した姉の気持ちは、根っこが同じなのではないかということだ。つまり、結局この家族は父の顔色を中心に判断されており、自分や自分たちの苦しみの感情は二の次なのであり、抑圧するのが自然なのである。こうして父の暴君的な家庭は成り立ってきたのだ。

 

スーザン・フォワードの本には、4つの要点以外に必ず最初に付け加えることを推奨している言葉がある。それは「今から伝えることは、これまで伝えたことがない、初めて伝えることです。」というものだ。つまり、これまでの暴力の下では、ずっとひた隠してきた事柄や感情について、はじめて明かしますということを宣言することだ。

私はこのような事実を伝える前には、父の暴力と真っ向勝負で非難するというやり方しかしてこなかった。しかしこのような方法はほとんど解決にならず、むしろ相手を防衛させたり、火に油を注ぐ結果にしかならなかった。大切なのは、暴力を受けたことで起こったことを事実として、ちゃんと伝えることだったのだ。

 

私は書いた。

私はあなたからしてもらった沢山のことに心から感謝している。

ただ私は幼少期から受けたDVについて、決して謝ってほしいとか責めたいわけではなく、起こった事実を伝えておきたい。

 

1.あなたがしたこと

幼少期から些細な事で怒鳴られ、殴られ床に吹っ飛んだこと。

2.その時の私の気持ち

とにかく怖かった。悲しかった。

3.私の人生に与えた影響

私は対人恐怖症で苦しんできたこと。ずっと人が怖くて怯えていたこと。

死にたくなったこと。

自分で怖さを克服しようと精神医学や心理学の本を読み漁ったが、限界がきたこと。

カウンセリング等の専門家の助けを得たこと。

自分の怖さの根底にDVのトラウマがあると理解したことで、少しずつ回復してきたこと。

専門家に出逢わなかったら、今頃この世にいないだろうこと。

自分の回復は完全ではないこと。回復が完全ではないゆえに、日常的な出来事により、身心の調子を崩すこと。

母や姉がDVにさらされるのを見るのも耐えられないこと。

今は調子を崩しているので、しばらくあなたから離れていることにすること。

4.現在のあなたに伝えたいこと

別れの時間が近づいているので、1分1秒でも家族みんなが笑顔でいられるように一緒に考えて欲しいということ。

 

 

数日後、姉を介して父からの手紙が私に郵送され手元に届いた。

その手紙を読むにはエネルギーが必要だった。

というか、私は自分に起こった事実を伝えることができたことで目標達成であったため、もはや父からの言葉は必要としていなかった。むしろ、否定的な発言がないとは限らないので、それを見て傷つくのも怖かったので、数日間開封しなかった。

もはや父が亡くなった後に開封するでもいいし、自分の生涯開封しないという選択もあるなと思ったりした。自分一人で見るのも怖いので、姉と一緒の時に読もうということになり、今日それを読んだ。

 

父からの手紙には、自分のしたことに対する反省の弁もあれば、言い訳の言葉もあった。さほどひどい否定がなかったので事なきを得たが、言い訳の言葉を見るにつけ、私の辛さが理解できたものか怪しいものだと思いつつ、もはや今の私には父に理解してもらう必要がなかった。

 

自分が自分を客観的にありのままに伝えることができたことは、つまり、誰でもない自分が自分を初めて肯定できたということだと理解した。

 

辛かったよ。悲しかったよ。怖かったよ。

 

このことをずっとずっと隠してきた。

カウンセラーに自分の感情をありのままに言えたことも確かに私の回復を助けたのは事実だ。しかし当該人に伝えることの効果とは、天と地の差である。

 

当該人に伝えることが、どれほど自分の回復に重要だったかということは、

言葉で言い尽くせない・・・。

 

これからは自分を肯定して生きていける気がしている。