吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

久しぶりのDV ~毒親との対決~

先日、久々に父がブチ切れた。

私の言葉をきっかけにブチ切れて、液体の入った瓶を投げつけ、怒鳴り散らした。

父は80半ばであるが、昔からDV男である。

気に入らないことがあると怒鳴り散らし、お皿を投げつけた。それに抵抗もせず片付ける母親の姿を何度も見てきた。

私は、理不尽な父のDVに対し、抵抗しない母親の態度が腑に落ちなかったし、そんな虐げられる女になりたくないと思った。

父と見解が異なる意見を交わしていると、途中までは一見議論めいたやり取りであるが、自分の意に沿わない私に苛立ち、次の瞬間には怒鳴り散らし、暴力をふるうというのがパターンだった。

けれど、暴力でねじ伏せようとする父に屈したくない気持ちで、私は父に向かっていくことをやめなかった。内心は怖くて震えていたが、負けたくなかった。掴みかかられながら、これで命を落としても別にいいとさえ思っていた。こうやって家庭内殺人は起こるんだなと頭の中で考えた記憶もある。

そんな私に、母は「あなたが悪い。謝りなさい。」っと傍らで叫んでいた。

「なぜ私は悪くないのに、謝らねばならないのだ。謝るもんか。殺すなら殺せ。」と思った。

母はいつも父の機嫌に敏感だったし、「お父さんは今忙しくて疲れているから、ちゃんと挨拶しなさいね。」と娘たちにも父の機嫌を損ねないようにうるさく指示していた。みんな父の顔色を伺っていた。

私は家を早く出たいと思い、高校卒業とともに県外へ出た。そんな私は家族の中で、独立心が強く、勝気で、強い人間だと思われていた。

 

実際は違っていた。父のDVは私のトラウマになっていた。

私は父のような横暴な人に負けない強い人間になりたいという想いが人一倍強い一方で、人一倍恐怖心を持っていた。いつも人の顔色を伺っていた。人が自分のことを怒ってないか、どう思っているのかが気になり、対人恐怖症に陥っていた。特に男性に対する対人恐怖が強かった。

20代の頃は、精神医学や心理学の本を読み漁り、自分で何とか克服しようともがいていた。30代になり、自分の力で克服するのは無理だという段階にきて、心理カウンセリングを受け始めた。そこで父親に対する怒りや悲しみの感情と同時に、父に対する恐怖の中闘っている私を助けてくれなかった母親に対する怒りや悲しみがあったことを初めて認識した。

カウンセリングの中で、辛かった幼少期の自分に対し、今の自分が声をかけてあげるというセッションでは、

「辛かったんだね。怖かったんだね。よく頑張ったね。もう頑張らなくていいよ。大丈夫だよ。」と自分で自分に語りながら、涙が止まらなかった。

 

後に私の対人恐怖症やカウンセリングのことを姉妹うちで告白した。

私は強い人間だと思われていたので、姉たちは、まさかそんな辛さを抱えていたとはと驚いた。父や母は今でも私の苦悩を知らない。

 

苦悩の解決は一足飛びにはいかないけれど、カウンセリングとの出会いで随分楽になった。父のことも俯瞰してみれるようになった。父は小学生頃に母親を亡くし、自身の父親とうまくいかなかったこともあり、感情のコントロール等がうまくできない気の毒さを抱えているのだと理解した。私自身が子どもを持ったことで、私の母は私たち子どもを守るために、父の機嫌を損ねないようにすることや、私に謝らせるという対処行動をとっていたのだと理解できたことで、私の悲しみは癒されていったことは事実だ。その後も、ACや禅の領域を学び、年齢を重ねたこともあり、自分はもう大丈夫だと思っていた。けれど実際はちょっと違っていた。

 

久しぶりのDV体験

父が怒鳴り始め瓶を投げつけた瞬間、何が起こったのかよくわからなかった。

しばらくぽかーんとした後、徐々に理解した。

「切れたのか・・・。」と頭でつぶやく自分は、状況を俯瞰で見れているのかなと思いつつも、やはり怒鳴り声に体が反応したらしく、鼓動が早まっていることも自覚した。

 

物事を俯瞰でみて反応しない練習も積んできたんだから、今回のDVだって冷静に対処できるはずと自分に言い聞かせた。本当はすぐに実家を立ち去りたかったが、この日私は認知症になった母の世話の担当だったため、しばらく滞在する必要があった。父はひとしきり怒鳴り倒して立ち去った後、4時間程すると何食わぬ顔で私の作った昼食を食べ始めた。

「この人はこういう人だから仕方がない。受け流そう。」

と自分に言い聞かせ、自分の感情が波立たないよう意識して過ごした後、私は実家を離れた。

 

けれど帰宅途中の車の中で、徐々に心がもやもやし始めた。

なんか苦しい・・・。

そこに偶然、2週間近く音信不通にしていた御仁からSNSで「元気なのか」というメッセージがきた。その瞬間、平然としなきゃと踏ん張っていた力が抜け、泣けてきた。

 

「私、やっぱり平気じゃない。DVなんて許せない。許す必要ないよね。怒っていいよね。」という気持ち。

でも一瞬、許さないことと、平静でいたいということがごちゃごちゃして、うまく対処できなかったのだ。

私は怒っている。当然だ。

 

毒親との対決

「毒になる親:スーザン・フォワード著、玉置 悟訳」

毒親に悩む人に是非読んでいただきたい本だ。

 

この久しぶりのDVを体験する以前より、この本を読んでいた。その中に「毒親との対決」を推奨する章がある。この対決というのは、毒親に謝罪させることや毒親を責め立てるということではない。ただ毒親の行動によって、私(子ども)にどんな影響を及ぼしたかという事実を知ってもらうために、自分の言葉で話すあるいは手紙を書くというものである。つまり毒親を何とかしようというのではなく、この対決は自分のためにやるのであって自分に自信を与えるだろうというのだ。

 

以前の私はこの章をさらっと読み放置した。今さらこの件で向き合うのもエネルギーがいるし、自分もセラピーを受け随分辛さを乗り越えてきたからもういいかなと思っていた。しかし、子ども時代の過去をスルーしたとしても、今目の前で起こったDVをも自分がなかったことにしていいのか。いや、いけない。だから怒りがありもやもやするんだろうと思えてきた。そこで姉に貸していたこの書籍を、翌日急遽取りにいった。

 

今回のことは父も様々なストレスを抱えている中、自分の意に沿わない私の一言でブチ切れたわけだが、姉が父と話をし、これはDVであること、ちゃんと謝る必要があると伝え、父自身も謝罪したいという想いに至っているらしい。

しかし私は久しぶりのDVだけを取り上げて謝罪されても意味がないと思うので、私だけではなくて娘全員で父の前に座り、これまでのことを謝ってもらおうと提案した。

しかし「毒になる親」の内容に基づく最終的な私の目標は父に謝ってもらうことではなく、昔からの父のDVによって私がどのような気持ちであったか、私の人生に何十年も与えた影響等、今日のブログに書き綴ったような、起こった事実をしっかり伝え知ってほしいというだけだ。伝えることができたら、その後の反応は何も期待しない。

 

これは私自身による私のための対決なのだ。

今日長々とつづったのは、その準備体操。頑張れ自分。きっとやれる。