吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

家族全体の毒

3週間前の下書きを改めて読むと、下記のように綴っていた。 『最近は罪悪感で自分を責めたり、居所のなさに不安になることがなあまりなくなったようで不思議だ。何が功を奏したかわからないだけに、また何かの拍子に罪悪感にさいなまれたり、自分を責めて苦…

渇愛ではなく慈愛

恋と愛の違いは、以下のようなところにあるらしい。 恋とは、「恋が叶う」というように、相手を愛するように見えて、実は相手が自分を愛してくれることを望む。つまり渇愛。 愛とは、自分が愛して完結し、自分が愛されることを望むものではない。つまり、愛…

八風吹不動天辺月

「どのような風が吹こうとも天に輝く月のように、清々と生きようと説く禅語。自分を見失いそうになったときは、天の月の視点から俯瞰で眺めれば、出来事を冷静に受け止められる。」 私の日常的なバイブルは禅語であり、「禅語百選」なる書物を常に携帯してい…

ワンコンシャス:One concious

これまでは禅語をタイトルに和に拘ってきたが、今日はいきなり横文字を用いてみる。 先日から読み始めた書籍で「ワンコンシャスone concious」という用語を知った。 「ワン」 とは「 1つ」ということで、 自分 も まわり も 大差 など なく( 本質的 には …

無明

「煩悩があるのも、かえって人間味があっていいのではないか。煩悩があってもよし、なくてもよし、こういう世界が空という世界ではないか。」 前回の記事でも触れたが、久しぶりの父親の毒にさらされてから精神的なエネルギーが低下している。そのせいか、や…

是亦夢非亦夢(その2)

是亦夢非亦夢とは、是とか非とかの相対的な知識や判断の執着から脱却した執着のない、さとりも学識も地位も忘れ去った境地とのことである。 今日は久しぶりに父親の毒にさらされ疲れ果てた一日であった。両親の介護をめぐり、家族で集合して話し合う場面で、…

禍福は糾える縄の如し

前回の記事を書いた際は、御仁の体調不良や知人が倒れたことに慌てた自分が、いかに一期一会の覚悟が薄れていたかを思い知らされた。そのためとにかく逢える時に逢おう、逢えた時間を大切にしようと思ったところに、コロナ騒ぎが浮上した。持病を持つ御仁に…

一期一会

一期一会は、良く知られた禅語である。私にとっては、特に大切な人が病気を抱えているため、逢っている間はこれが最期かもしれないと常に覚悟して大切に過ごそうと、肝に銘じておきたい心持のひとつのはずだった。しかし実際は、元気そうにしている姿を何度…

是亦夢非亦夢(その1)

今日は冷たい雨が降っている。 今晩は逢いたい人に逢えるはずが、先方の急遽の仕事のために逢えなくなった。その連絡に際し、相手に罪悪感を感じさせないよういい人の反応をしなければと思い、了解した旨さらりとSNSに返信した。 そこから私のもやもやした悲…

放下著と両忘との間

月日が経つのは本当に早い。 ブログを始めた時には、毎日書くことを目指していたけれど、あっという間に年を越していた。毎日書くとか自分に決め事をして、その通りに実行できないと、自分をだめだなとジャッジしてしまうという性質があるが、自分をジャッジ…

坐禅など

縁あって秋に入り月に1回、お寺の坐禅会に参加している。坐禅と瞑想は異なるという話を伺い、目をつむるかどうかの違いはわかるが、本質的な違いは体験を重ねるまでよく理解できなかった。なかなか言葉にするのは難しいが、ここ最近のいろいろな体験も交えつ…

明珠在掌

明珠在掌とは、「めいじゅたなごごろにあり」と読む禅語。「大切なものは自分の中にある。」ということ。 自分に自信がなく、人を自分より素晴らしいものと盲目の尊敬に陥りやすいACな私。自信のある人、強い人に無条件に惹かれてしまう。無意識的に、そうい…

人人悉道器

人人悉道器 「にんにんことごとくどうきなり」と読む禅語で、「道器とは仏道を納めるに足る資質を備えた人。」つまり「この世に生まれた人は誰でも道を極める能力(器=可能性)を備えている。」ということ。 わたしのようなAC的な人に伝えるならば、「あなた…

莫妄想

莫妄想とは、禅語で「まくもうぞう」と読み、生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、全身全霊を挙して一心不乱にやり貫けという意味を含みます。 わたしはというと、善悪のジャッジに常に執着していることが多く、人が自分のことを悪く思っているの…

観月祭にて思う

今日は近所で観月祭があり、御仁や友人等と一緒に出掛けた。私は、御仁にお供できるということに、とてもわくわくした気持ちでありつつも、いつものごとく御仁や友人等に自分がどう映るかということを気にするひと時でもあった。わくわくも終わってみると、…

アサーティブに

「アサーティブなコミュニケーション」 これが最近の私のテーマである。ACとの関連から自己表現が難しいという課題をずっと抱えていた。相手の機嫌を損ねないやり方に常にアンテナを立てることに慣れていたので、自分の感情がわからない。レストランでメニュ…

両忘で

「両忘で・・・」数年前に御仁から教わった禅語である。 両忘とは、白か黒かというような相対的な対立を忘れ去り、二元的な考え方から脱すること…。 中庸とも少し異なる。 ゼロか百かという両極端な自分の性格が、実はACの特徴からくると知ったのは、ACにつ…

わたしとの対話 ~徒然なるままに~

いよいよブログ始めます。 数日前から、書き出したくてうずうずしていました。 わたしはACを自覚する40代女性です。 何年もACで苦しんできましたが、少しずつよくなっていることも自覚しています。 一番大きな変化は、「自分と一緒に居られるようになったこ…