吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

人人悉道器

人人悉道器 「にんにんことごとくどうきなり」と読む禅語で、「道器とは仏道を納めるに足る資質を備えた人。」つまり「この世に生まれた人は誰でも道を極める能力(器=可能性)を備えている。」ということ。

わたしのようなAC的な人に伝えるならば、「あなたはあなたのままで価値がありますよ。人と比べる必要ないですよ。そのままでいいのですよ。自分らしさ認めて、精一杯生かしてあげよう。」ということだろう。

 

2日前に友人の個展に伺った。彼女は帆布に人や動物などのイラストを描いてバックやブックカバー等の作品を造っているクリエイターだ。個展の開催場所は、小さな本屋さん。ここは、こだわりの新書や古本をセレクトし、こだわりのコーヒーを味わいながら本を手に取り楽しむことができる。

私は久しぶりに会う友人や本屋さんのご夫婦、彼らのこだわりの作品に囲まれ、語りを聞いている中で、何とも言えず心の中心にずしっとくる感覚を覚えた。

なんだろうな・・・。帰る道々もぼんやりと考えながら、心がもやっ、ずきっとする感じ。言葉にするのは難しいが敢えていうなら、この日に出会った人々は皆、等身大だった。『自分の好き』を心底大切にしている。その大切な愛しさを、作品という形で人々におすそ分けしようとする、まさに愛を拡げている感じ。ご自分の中から湧き出る愛のエネルギー。この人たちの温かみは、自分自身を大切にすることから滲んでいる。だから私の表面をくすぐるのではなく、心に染み入ってくるのか。

私自身は基本人目が気になるので、他人に対して失礼なふるまいになっていないか、いつも気になっているが、それは自分のふるまいを人から避難されたくないという自己防衛に過ぎない。それは一見、礼儀正しそうであっても、今日出会った人たちから感じるような温かみは滲まないだろう。

友人と私とはまったく分野が異なるが、起業支援のイベントで繋がる関係である。彼女の活動の基準のひとつに、自分の気持ちが十分か、自分の納得はどうかがあった。その語りを聴きながら、『あーこれだ。』と感じた。

私の起業活動はまだ道半ばであるが、常に自分の考えるものが人にどう評価されるかが気になり、一人で勝手に落ち込みなかなか前に進まない。けれど、この日の友人や本屋さんたちの姿を見て、「まず、自分の作品や活動を漠然と自己非難するのはやめよう。私が良いと思っている気持ち、私が好きだと思っている気持ちをもっと大切にしよう。わたし自身がもっと自分の作品に堂々と愛情を注ごう。その次に愛情のおすそ分けを考える。私が、私自身や私の作品を大好きであれば大丈夫だ。」と。

「人人悉道器」私には、私ならではの作品や活動があるはす。その自分が持つ力を生かすこと、そのために生まれてきたのだから。

頭でわかっても止まらない自己批判があるのは、自分がACとして身に着けたものだからすぐには消えないことはわかる。それでも少しずつ少しずつ回復している。もうすぐ50歳を迎えようとする私が、心のしんどさがピークに達し心理学の本を読みふけったり、カウンセリングを受け始めるとう回復の1歩を踏み出したのが30歳の頃。心の苦しさにACを自覚しACを専門的に扱うカウンセリングを受けたのが4年前。時折、本当に自分は回復するのかと気が遠くなることもあるが、こうした紆余曲折や様々な出会いの中で、少しずつ回復している。

あと何年生きるかわからないが、せっかくこの世に生まれた自分を、少しでも楽しく過ごさせてあげよう、自分のもつ力を世の中の役に立てよう。立ち止まったり、時に後退しても、いい。それでいい。人の目や人の批判が怖くて怖くて仕方ないことがあるが、自分を傷つけているのはいつも自分。誰も私を傷つけることはない。

友人の個展での体験は、私の回復のターニングポイントとなることは間違いないが、ここ数日は新たな生みの苦しみなのか、少々気分が落ちているふしもある。どうしたら自分を癒せるだろうかと、プランターの土いじりをしてみたり、こうしてブログに気持ちを吐露したり・・・。この後は久しぶりに、知り合いのBarに出向いてみようと思う。