喜怒哀楽は感情であり
感情は流れる雲のようにコロコロと変化する
変化する感情とは異なる次元が自分という存在
これまでの白黒思考であった自分は
白の時は黒を否定し、黒の時は白を否定し
相手の存在や愛情そのものを全てなかったことに否定してきた
しかし・・・
白になっても、黒になっても、常に自分はそこに在る
同じようにして白になっても、黒になっても、常に相手はそこに在る
過去もそうで、現在もそうで、未来もきっとそうだろう
その時々に相手が白に見えるか、黒に見えるかは
その時々の自分自身の心の状態であることがようやくわかってきた
相手の存在は、白でも黒でもない
それは自分が白でも黒でもないことと同じであり
喜怒哀楽という感情が自分の本質ではないことと同じ
あの時はこうしてくれたのに
この時はこうしてくれたのに
あの時は、この時は、あの時は・・・
こうした、ああしたは本質ではなく
どんな時も、あの人はあの人であり、私は私であり
それ以上でも、それ以下でもない
自分の心が自分の外に向いていて
他人の一挙手一投足に一喜一憂していただけ
他人の感情らしきものに執着していただけ
他人の感情も、自分の感情も
所詮は流れる雲のようなもので
私の本質には関係ない
ただそこに在るだけ