吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

観月祭にて思う

今日は近所で観月祭があり、御仁や友人等と一緒に出掛けた。私は、御仁にお供できるということに、とてもわくわくした気持ちでありつつも、いつものごとく御仁や友人等に自分がどう映るかということを気にするひと時でもあった。わくわくも終わってみると、どーっと疲れて消耗している自分がいる。とはいえAC回復のプロセスとしては、人目を気にした自分自身を否定し責めていた時期もあるが、今時点では「あー、今日は疲れたね。」と人目を気にしたことをありのままに受け止め、自分を慰めてあげたい気持ちであるという点は進歩かなと思ったりする。また、これまでだと自分が疲れる苦手な場面に対して、『逃げてはいけない。辛くても立ち向かい、頑張って克服しなければならないっ!』という強迫観念があった。今は『べつに頑張らなくてもいいよ。疲れるところに、わざわざ行くことないよ。』と自分に言ってあげられるところも進歩かもしれない。今日も疲れるだろう不安はあったものの、御仁のお供ができるわくわくが、疲れへの不安感より勝っていたので参加することにしたのだ。でもやっぱり疲れたから、いましばらくは同じようなシチュエーションがあれば遠慮したい。

 

気づきついでにもう一つ記しておくと、このような経験があったときに、『もう疲れるから同じようなシチュエーションでは行かない!』『断らねばならない。』と決め込む習性があった。一方最近では、『今時点では、同じシチュエーションは遠慮したい気持ち。けれど、同じシチュエーションになった時に自分がどう感じるかわからない。その時の気持ちでどうするかは決める』というように、その瞬間瞬間の自分に起こる気持ちを確認しようという幅ができてきたように思う。これも進歩のひとつ。

 

帰りには、友人を私が車で送ることになった。そこで無事に帰れたかをさぞかし心配しているだろうと思い、帰宅後すぐにLineで無事送った旨を伝えたが、既読にもならず返信もない。FBでオンラインしているのはわかっているので、Lineに気づいているはずなのに、既読にならないなんて、そんなに心配してくれていたわけではないのかと悪い妄想と『かまってちゃん』な私が顔を出す。前述のようなAC回復の進歩もあれば、いつまでも『かまってちゃんな私』というなかなか進歩が難しいところも共存している。『かまってちゃんな私』『自分に対する相手の感情を悪く妄想をする私』というのが、わたしにとってはハードルの高い課題なのだ。このような課題克服によい知恵があれば、是非教えて欲しい。

 

今のところ私の努力の方向としては、『かまってちゃんな私』『自分に対する相手の感情を悪く妄想をする私』ともに否定はしないこと。だめじゃんとジャッジしないこと。あーそうなんだねと、まずは事実として自分を受け止めてあげること。しっかり味わった上で、それから、すっと流すこと。書くは易くではあるのだが、書いてみると、なるほどそうだね、それしかないよねと思ったりする。特に「すっと流す」というのは、マインドフルネスとか、座禅とか、いろいろ体験する中で、是非とも習得したいスキルではあるが、何度も何度も頭に浮かんで流れないことも多々あり。最後には、『まあ、しょうがない。だって人間だもの。』で締めくくるしかないのである。

 

観月祭にちなみ、満月の願いごとの方法等をネットで読みふけってみたりする。どうやら満月と新月ではお願いするのにふさわしい内容が異なるらしい。満月の場合では、手放したいこと、新月の場合では、これから達成したいことがふさわしいらしい。満月になってからお願いごとをすることと書いてあるが、さらにはボイドタイムという避けたがよい時間帯がある等、結構ややこしいルールがある。今日のボイドタイムを避けるとなると満月にお願いごとをしていい時間は15日の1時24分以後ということらしい。月の満ち欠けや潮の満ち引き、人の生死等、確かに何か関連があるとは思うが、お願いごと等どこまでスピリチュアルに頼るかという問題もある。月を信じる前に、自分を信じる力をつけようということで、1時まで起きておくのをやめて、今日の心身の疲れをとるべく寝ることにします。