好きだからプレゼントをする
好きだから返信が早い
好きだから逢う
好きだから・・・
この思考の裏はこうだ
好きならばプレゼントするはず
好きならば直ぐに返信するはず
好きならば逢うはず
好きならば・・・
さらにはこうして自爆する
プレゼントがないのは好きじゃないんだ
返信が遅いのは好きじゃないからだ
逢わないのは好きじゃないからだ
○○がないのは好きじゃないからだ
このような思考が私が苦しかった理由なのだ
先日来の御仁や家族との感情爆発等を経て
何かが少しずつわかってきた気がする
上手く表現出来ないけど・・・
敢えて記述を試みると
例え御仁にわかって貰えなくても
私は私の不満を持っていてもよくて
それで御仁が去ってしまっても
私は私の不満を無かったことにする必要なくて
私は御仁に不満があっても好きなことに変わりなくて
御仁にムカついても好きは仕方なくて
プレゼントくれなくても御仁は御仁だし、好きは好きで
返信が遅くても御仁は御仁だし、好きは好きで
逢えても逢えなくても御仁は御仁だし、好きは好きで
それがわかると
他人が何しようと何をしなくても
私には関係ないと理解出来る
好きとか嫌いとかという感情と
何かをくっつけることは無意味で
感情はただ味わっていればいいんだろうね
プレゼントしたいと思ったからプレゼントする
返信しようと思ったから返信する
逢いたいと思ったから逢う
そう、ただそれだけだったのか