吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

新月に想いを馳せて

今日はしし座新月

キーワードは「正直・自信・決断」

 

私は満月や新月の日程をチェックしながら、その時々の自分の願いごとを書いている。

 

ちなみに、7月24日はみずがめ座の位置での満月とのことで、ある占い系サイト情報によると、今年の年間テーマにおける「振り返りと調整」のタイミングであるとのこと。

 

7月は、御仁との間で様々に考えさせられる出来事が起こったので、まさに今が振り返りのタイミングなのだなと妙に納得した。

 

 御仁は人々から尊敬される立派な人物であり、何より私は御仁を崇拝しすぎているところもあるので、御仁に何かを指摘するということはほぼない。しかも御仁は若干だが俺様的なところもあるので、何か指摘してもほぼ論破される気がする。

 

2人で過ごす時間であっても、御仁はよくスマホをいじる。

これは私にとって不快なことなのだが、これまでは指摘しなかった。しかしここ何度か目に余る行為に感じられたので、私は率直にそれを指摘した。

すると「急ぎの案件なんだ。」と瞬間、不快な表情を浮かべつつも、「ほらこれこれ・・・」と画面を示し、どう急ぎなのかを説明してくれた。

わたしとて急ぎの案件だとわかれば、納得ができるというものであり、「その件でしたか。」と落ちついて返した。

 

さらに御仁は「俺は独り占めできない人間なんだ」と発言した。

 

この発言に私は一瞬言葉を失いながら、自分の心がざわっとなるのを感じた。

あれ、このざわってなんだろうなあと自問自答しながら固まっているところに、

「あれ?なんかコメントないの?」と御仁が言ってきた。

 

そこで私は「うーん。なんてコメントしましょうか。っていうか、独り占めなんてしませんよ。」と落ち着いた口調でコメントした。

するとすかさず御仁は、「俺は2人で居ても、急に他のことを始めたりすることがあるけど、だからと言って大切にしていないわけではなくて、自分はそういう独特な行動をする人間なんだ。」と説明した。

 

スマホが急用であることや、自分の行動の意味を説明してくれたことは、お互いに理解しあうための努力だと思えば、御仁なりの配慮だとありがたく感じる。

わたしとしても自分の物差しだけでスマホ行動をみると、なんて無礼なと腹がたつところだが、御仁なりの意図や言い分があることを理解できれば、気持ちも収まるというものだ。

 

それにしても、「独り占めできない人間」という言葉にざわついた自分の感情を数日たってからも振りかえってみた。

この言葉を聞いた瞬間、すごくどきっとしたというか、ぐさってきた感じであった。反射的には、「独り占めなんかできるわけないし、するわけないじゃん。」と半ば、怒りにも似た感情が湧いた。

 

その背景には、2年前に私が御仁に発した不用意なメールに御仁が怒りをあらわにされたことがあった。それは体調が悪くても仕事をしてしまう御仁を案じる気持ちから、「休まないと怒る」とメッセージを送ったら、「しんどい時に絡むな。」と返信がきた。この時、私は心が凍りついてh放心し、これ以上メッセージを返せないという状況に陥った。ちょうどその時、県外への出張も重なり、距離も時間もおいて自分の頭を冷やすことにした。一日半ほど経ってから、御仁からメッセージが入るが、心が沈み過ぎて愛想なく事務的返答だけをした。逢える時間があるかという問いに対し、顔を見るエネルギーもなく、「逢いたいけど、先日のコメントがショックだったので、時間をおきたい。内省中です。」と返信した。

すると御仁は「反省は深くしないほうがいい。どんどん後ろ向きになるから。」と返信してきた。

私は「休まないと怒る」という私のコメントは体調不良の御仁に対して配慮が足りなかったとは感じていたが、間違っていると思っているわけではないから「反省」ではなく「内省」という言葉をあえて用いたのだが、それなのに「反省」という用語をもってくるあたりは、ただ気づかなかったのか、俺様的には私が悪いということなのだろうかと、若干いらっとした。

 

しかも、その時の御仁のコメントは、 「一期一会の時間を過ごしたい。」

 

このような経験からすると、「目の前にいる人を放置してスマホをいじるなんて、一期一会の精神に反しているよ!」というのが私の不満ポイントだった。

私は御仁を独り占めできる立場でもないし、持病をもつ御仁が明日倒れて永遠に逢えなくなるかもしれない中で、つかのまの一緒に過ご貴重な時間は、まさに私にとっての一期一会なのだ。

 

その日は、定例の帰宅後メッセージにあえて、「一期一会の貴重な時間に感謝です。」とコメントを送った。

この禅語を私が用いた意味に気づかない人ではないので、この件について私からこれ以上言うことはない。

 

しばらく日にちをおいて、この件について振り返ってみた。

 

そのとき感じたぐさっという感覚は、私が御仁を独り占めしようとしていたことを私自身が私に自覚させるために起こったことなのかもしれないと考えなおした。

 

しかも、「無礼なふるまいだ」というのは、人の行動をジャッジする行為であり、これはよく実父に自分がされて嫌だったことだと思い起こした。

 

一緒に過ごしている相手に、スマホをいじられることで、私の自尊心が傷ついていたのではないか。しかしそれは、一緒にいる相手にスマホをいじられるなんて、自分はスマホより価値の低い人間であると、自分が自分をジャッジしていたのだと気づく。

 

実父は、無礼なふるまいや自分の意に沿わないことを私が言ったり、行ったりするとぶちきれて怒鳴り散らした。私が御仁にしたことは、実父が私にしたことと同じなのかもしれない。

 

昨年の夏、久しぶりにブチ切れた実父に、「私はもう大人なんだから、自分のことは自分で決めるから。」と私は言った。それと同じように、御仁は私に「俺は自分の行動を自分でしたいようにする。」と言いたかったのかもしれない。

これは、私が「自分のことは自分で決める」と父に言ったことを私が思い出すための出来事だったのかもしれない。

 

さらに自分の意に沿わないことでブチ切れる父は、傷ついた人だったのだと気づく。

御仁がスマホをいじることで、私は自分がスマホより価値の低い人間であると勝手に傷ついた。

子どもが自分の意に沿わないことで、父は自己価値感が傷ついて、その反動でブチ切れたのではないか。

しかし、私が父の意のままに行動しなかったことは、父を傷つけようとしたわけではなく、自分の人生を大切にしたかっただけだ。

御仁が私の意に沿わない行動をしなかったことは、私を大切にしないわけではなくて、御仁自身の人生を大切にしたかっただけだ。

 

人の行動と自分の価値とは別物。

 

父のこと、御仁のこと、自分のこと、すべてがつながった気がした。

 

今日のしし座新月に願う

*私は自分の気持ちに正直に自信をもって行動すると決断する。

*私は自分の気持ちを正直に自信をもって他人に伝えると決断する。

*私は他人の気持ちを素直に受け止める。

*私は他人の気持ち尊重しながら、自信をもって自分の道を往く決断をする。