吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

幼い時の自分に辛かったねと言ってあげる

あるきっかけで、子どもの頃に辛かったことの書き出しワークをした。

その時々のきっかけごとに問いは異なるが、語ったり書き出される内容は大体同じようなな感じだなぁと自覚していた。

→怖かった。辛かった。寂しかった。悲しかった。

 

さらに、書き出されたことに対して、どうして欲しかったのか、書き足してみた。

→話を聴いて欲しかった。

→抱きしめて欲しかった。

→一人にしないで欲しかった。

→お留守頑張ったねと言って欲しかった。

→どうしたんだろうと気にかけて欲しかった。

 

これらを眺めながら、ふと浮かんだことがある。

私の幼い頃の辛さは、三姉妹の次女である姉が病弱で入院することが度々あり母が付き添いするため、私が取り残されていた記憶。

姉の入院がない時でも、母がパートに出るなどして、私は鍵っ子だった記憶。

思い起こせば、幼稚園の時に鍵っ子だった。

今更ながら、幼稚園児の鍵っ子ってありだろうかと再認識して驚いたが、確かに幼稚園児だった。

しかもその頃、自宅に空き巣が入る事件があったことをきっかけに、ひとりの留守番が恐怖になった記憶。

特に、一人でトースターで食パンを焼いて食べるのだが、当時の跳ね上げ式のトースターのチリチリをした音が怖くなり、パンを焼かずに食べる事にした記憶。

 

こんなにも幼い自分が、独りぼっちで怖くて寂しくて悲しい想いをしたのに、自分は自分の息子を鍵っ子にしたのはなぜだろうという疑問が湧いてきた。

流石に幼稚園児での鍵っ子はないが、小学校にあがり学童保育を利用したが、夕方には自分で鍵を開けなければならなかった。

4年生からは学童保育が利用できないので、もっと早い時間から鍵を開けて一人でいなければならなかった。

少しでも居場所をという思いはあり、サッカークラブや塾を利用した。

 

それでも自分の過去の悲しみや孤独、恐怖を思い出せば出すほど、なぜ我が子を鍵っ子にしたのかと、自分に疑念が湧いた。

もしかして、当時怖くて、寂しくて、泣いていた自分を許してなかったのではないか。

怖くて泣いてしまった私を、「留守番も出来ないの!」と叱責した実母の姿を自分自身に写し、一緒になって「留守番できる良い子」を自分にも息子にも強制したのだろうか。

そう思うと、息子に可哀想なことをしてしまったと、自責の念に襲われる

しかしその反面、私がずっと息子に対して意図的にしてきたことがあるそれは、

大好きだよと言葉ではっきりと伝えること

大好きだよと抱きしめてベタベタスキンシップすること

 

これらはどちらも私は実母から貰えなかったものであり、ずっとずっときっと最近まで欲しかったものだ。

こうすることで、鍵っ子だからって、あなたを愛していないわけではないのよ、鍵っ子にしたからって、あなたを愛しているのよと、我が子につたえながら、私の心の奥で泣いている幼い時の私に、伝えたかったのかなと思える。

それは、鍵っ子であり、叱責され怯えて震えていた幼い時の自分には、とても大切な癒しになったように感じる。

だからといって、留守番を頑張れというのは、少々息子には気の毒なことだったのは否めない。

私は自分の仕事や人生も息子も両方をどちらも大切だと伝えたかった。

でも改めて、自分にも息子にも、独りぼっちの留守番、辛かったね、よく頑張ったね、ありがとうねと伝えよう。