先日の同僚からの上げ足事件から、少々メンタルの調子が悪い
やっぱり他人って怖い
人に心を許してはならない
平然な顔をして、裏でいろいろな批判をする
そんな気持ちになっている
AC的自己は、いつもゼロか百か、白か黒かで物事を判断する癖がある
いかん、いかん、またACの悪い癖がでているぞと自分をなだめてみる
けれど、まだ自分の心が回復しない
そういえば、今年の正月早々、一番上の姉とのやり取りで、自分はひどく怯えていたことを思い出す
あの時も含め、過去を振り返れば様々な傷を抱えて自暴自棄になりながらも、少しずつ回復しているし、少々忘れたことだってある
いろいろなことは時間が解決してくれることもあるから、このまま時間が過ぎるのを待とうという気にもなる
2番目の姉とは年齢も近く、幼い頃からメンタル的にもとても支えてもらう存在である。
今でも、辛いことがあれば、ラインで助言を求めたり、電話で話を聴いてもらったり、私のメンタルの最後の砦的な存在だ。
その姉との間ではめずらしく10日ほど前に、姉を怒らせる事件が勃発した。
一言でいうと私の配慮が欠けていたということなのだが、ここ最近のメンタルの落ち込みに追い打ちをかける出来事として、私にとっての大打撃だった。
私はちょっとした姉のラインの言葉尻を通じて、「怒っているのかな」と想像しては、拒絶感や見捨てられる感じを覚え、心がびくついていた。
それにしても、姉との諍いが起こる前には、最近は姉に泣きつく回数が減っていたので、私も少し自分が強くなったのかなと思っていた。
それなのに・・・
まだ心の傷が疼いている・・・
もう傷は回復したと思っていたのに・・・
やっぱりまだ私は回復していないのか・・・
そんな気持ちになり、少々絶望感すら感じた。
自分の心の支えであった姉から見放される気持ちが辛過ぎて、私はラインで謝罪をした。すると姉にとっては、今回のことをあまり問題にしていないことがわかった。
なんだ、私の思い過ごしか。。。
今日、久しぶりに姉に逢って、これまでのようによもやま話をしながらも、自分のここ最近の様々なメンタル事件が癒されないことを実感した。
今回のことは、いかに私が自分の心の世話を、姉とはいえ、自分以外に委ねてしまっていたのかに気づくこととなった。
自分を癒すのは自分。
私が私の世話をする。
これまでも頭ではわかってはいたはず。
だが、姉には頼り過ぎていたのだと思う。
それが最近はあまり泣きつかなくなったなと気づいたうえで、姉との間の諍いに対して自分が見捨てられる恐れを抱いたことで、私はもう私に任せる時がきたよということの知らせだったようにも思う。
私の尊敬する精神科医の斎藤学氏が、AC的寂しさは渇望的なもの、でも大人はしんとした寂しさがあると述べていた。
人間は一人だ。寂しいのはあたりまえ。
寂しいが昔抱いていた渇望的な寂しさとは明らかに違う気がする。
なんだか寂しい。
そんな自分を受け止める。