吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

斎藤学氏との出逢いとACの力

あることをきっかけに、私はAC回復における自分の物語を書き留めておこうと思いたった。ここに、日々の徒然と区別して、ACからの回復にもがいてきた道のりを思い出しながら記述する。

 

私は昔も今も生きづらさを抱えて、2000年に初めて渋谷でカウンセリングを体験した。そこでは主に交流分析をベースにしていた。カウンセリングを受けることで随分楽にはなったが、もちろん問題が一掃されるわけはなく、燻りながらも何とか生き延びてきた。

 

斎藤学氏の書籍に出逢いACを認識し、当時麻布十番にあったIFFでカウンセリングを受けたのは2010年頃だ。斎藤氏の診察を直接受けることはなかったが、オープンカウンセリングの参加者の一人として、斎藤氏とのやり取りを体験した。またIFFのカウンセラーは斎藤氏のスーパーヴィジョンを受けていたので、「カウンセラーを通じて、私のメッセージを伝えます」と斎藤氏は述べていた。

 

初めてのカウンセリングを受けたときは関東在住であったが、2005年には地元である地方へ転居していた。東京への出張が多かったので、麻布十番でのカウンセリングを受けることにしたのだが、当時のどのような出来事に突き動かされたのかは、記憶が薄れている。

 

ただ記憶にあるのは、当時私が読んだ斎藤氏の書籍とは、その前から購入して所有していた依存症がタイトルになっていた。その帯には「アルコール依存」という文字が記載されていた。当時から夫の酒癖に不快感をもっていた私は、それを何とかしたいという気持ちから、日が暮れる中一気読みした。今でもベッドの上で、ひたすら読んでいた当時、日が暮れた光景が目に焼き付いている。

 

この本を夢中で読んだ結果わかったことは、夫の酒癖を何とかする方法ではなく、私自身がACであり、私自身を何とかしなければならないということだった。そこから、私のACへの学びが始まったように思う。

IFFのカウンセリングにも複数回通い、予約日時を書いた個人カードを自分の回復への勲章のように思ったものだが、気が付けばどこかに失くしてしまった。最後のカウンセリングがどうであったのか、いつだったのかも思い出せないが、地元での多忙さ、東京への出張の機会が減ったこと等、いろいろが重なってカウンセリングから遠のいた数年前に、IFF相談室が閉鎖することをネットで知った。斎藤氏も高齢であったことから、その後お元気だろうかと気にはなっていたが、とうとうクローズされるのかと残念に思った。

 

その後も、斎藤氏がお元気だろうかと気にはなりつつも、ACや毒親に関する他者の書籍を読む機会が増えていた。ここ半年くらいの間に、ふと斎藤氏の書籍を読み返していると、その語り口調の中にクライエントに対する深い愛情が感じられ、とても癒される気持ちがした。そして改めてこれまで所有していた斎藤氏の書籍を読み返すとともに、もう入手困難になるだろう講演集などをネットで買い漁った。

 

そこで私が十分には理解できていなかった斎藤氏の治療者としてのスタンスを改めて理解した。彼が最も主張しているのは、「クライエントの持つ力」についてだ。その力をエンパワメントすることが治療者の役目であり、また共通する仲間に出逢い、自分を語ることによって、クライエント自身が自分には力があることを理解するのだということ。斎藤氏の記述の中には、症状ではなくその人自身がどういう人なのかに興味があるのだということを語っている。食べ吐きできることだって、その人の持つ力なのだと。

 

そういえば、IFFのカウンセラーから「あなたには力がある」という言葉を聞いたことを思いだした。それはきっと、カウンセラーを通じた斎藤氏のメッセージだったのだと改めて理解した。

 

当時、さいとうクリニックのクライエントでもあったライターの栗原誠子氏が、斎藤氏との対話をまとめた書籍があることを最近になって知り、早速取り寄せて読んだ。そこには、斎藤氏が治療者であるというだけでなく、クライエントと向き合う人間として、苦悩する姿を感じた。私のような自己評価の低い人間は、意識的にも無意識的にも治療者を自分より高い位置に見ているところがあるが、斎藤氏の姿はまさに人間対人間の対話の大切さを説いており、彼自身が一人の人間として全身全霊を向けてクライエントに向き合ってきたことが伝わってきた。

 

「私はあなたに関心をむけています、あなたの話を聴きます、手紙を読みます」と。

 

講演集の中では、斎藤氏が向き合ってきた多くの患者の物語が記されている。それらの物語はジャッジではなく、そのクライエントにとって大切な意味のある人生の物語として示されているように感じた。誤解されそうで微妙なのだが、これは虐待や性被害など、そのものを肯定することとは違う。しかしたとえ起こったことが、辛いことや悲惨なことであったとしても、それをなかったことにすることはできず、起こったことを含めて、その人の大切な人生を紡いでいくことだと理解する。それだけの力を持っているのだから、勇気をもって自分の人生を歩めというエールだと感じた。

 

「起こることはすべてに意味がある」とスピリチュアル系のサイト等で、このような言葉を目にするたびに、頭ではわかった気になっていた。

 

けれども、虐待の中で生き延びることは、表面上の言葉で何とかなるような甘いものではない。無力な子どもが凄まじく傷付けられ、無力感に苛まれながら、食べ吐き、リストカット、引きこもる等して、どうにか生き延びてきたことが、それでも生きてきたことに敬意を表していることだ。そして、そんな自分をこれ以上、自分で虐めないことだと助言する。

 

そうだ。私も辛かった。辛さを言葉にすることさえできず、非行的な行動があった。けれども、それこそが私の力だ。そうして生き延びてきたのだ。

 

斎藤氏の文章から伝わる温かさに触れ、これまで辛さを抱えながらも必死に生きてきた自分に敬意を払おうと思えた。またそこに流れていた自分の力を認めようと思った。さらに、斎藤氏のように人の人生に向ける関心の力や、同じ傷をもつ仲間との分かち合いの力、自分の人生を自分が語る力を改めて感じた。

 

そこで私は改めて自分のために自分の人生を語ろうと思った。

定点的には自分が完全には回復していないことに愕然とすることも多いのだが、長い目で見たときに自分が少しずつでも回復してきていること、そのために必死にもがいてきた自分に敬意を払い、そんな自分を愛おしいと思い、自分の軌跡を残そうと思った。

 

斎藤氏が今お元気にされているかどうか気になりつつも、彼のこれまでの仕事が、少なくとも私という人間にある力に気づかせてくれ、前に進む大きな勇気を与えてくれたことに心より感謝する。

 

斎藤氏に心より敬意を表し、ここにわたしの物語を記す。