吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

相手に執着しない愛

AC的自分は相手に見捨てられるのが怖くて自分が嫌なことを嫌ということができないでいた。

御仁に対しても、不快に感じることがあっても自分の感情を抑え込んで、にこにこしてきた。

 

しかし、日々ACの傷を癒すための努力を重ねたためか、先日起こった不快な出来事の際に、頭で悩むことなく心から自然に、「嫌だよ」というメッセージを伝えることができた。

 

これまでなら、事前に今度こういうことがあったらこんなふうに言おう、言えるかな、怖いな・・・etc

頭で考えてばかりで、それだけで披露困憊で、実際に対面した時には、言えないということを繰り返してきた。

なのに、今回はじめて頭を通らずふわっ~と伝えることができたことに、自分が自分に驚いてしまった。

 

 

さらに驚いたことは、私が嫌だよと伝えた事に対する御仁の反応は、私が期待していた反応とは違って厳しいものだった。加えて御仁は、自分はこういう人間なのだということを私に解説してきた。

 

せっかく自分が気持ちを表明したことに対して、相手が意に沿わない反応を返してきたら、これまでのAC的自分だと、どん底に落ち込んで心が折れていただろう。

 

しかし今回の私は平気だった。

 

正確にいうとまったく平気というわけではないが、そんなことよりもこれまで自分が抑圧ばかりしてきた自分の不快な気持ちを正直に伝えることができたことに、この上ない満足感を感じていたのだ。

 

「自分の負の感情を自分がありのままに受け止めて、他人に媚びることなく伝える」

 

このことが、こんなにも自分を強くするのかと驚いた。

 

AC的な私が、ここまでたどり着く迄は、「不快な感情を持つ自分が悪い」と自分を責めていた。不快なんていわずに、どんな他人も受け入れるのが強さだと思っていたからだ。

 

しかし、そのうち自分が自分を受け入れて、それを他人に表明したときに相手の意に沿わないことがあっても、それはそれで構わないと思えるという境地まできていた。

 

自分が自分を苦しめながらも相手を受け入れることは、しなくていいのだ、するべきではないのだと思えるようになった。

 

「自分軸で生きよう」とよく書いてあるけど、頭ではわかる気もするが、AC的には実際にはどういうことなのか経験もなくわからないというの状況であった。

それでもなんとなくわかった気がするし、少しずつでも変化は起こるのだなと思う。

 

話を御仁とのことに戻すと、この時の互いの主張はまったく異なるものだったが、それらが対立するというよりは、それぞれにそうあっていいのではないかと思えた。

つまり、御仁に変わって欲しい等と思っていないし、だからと言って私が自分の気持ちをなかったことにしようとも思わない。

 

どちらの気持ちも、そのままあっていい。

 

ただシンプルに、私はこうだけど、あなたはこうなのね。ふーんそうなんだ。以上。

 

もし私の気持ちに対して、御仁がもし許せない気持ちがあったり、嫌だという気持ちがあったりして、一緒にいたくないということがあったとしたら、それはそれで仕方がないことだと思える。それ以上、追いかける必要はない。

 

だからと言って御仁に対する愛情がないわけではない。

逆に以前よりも御仁に対する愛情は増しているからこそ、相手を尊重したいのだ。

 

むしろ以前のような、御仁が離れていくなんて耐えられないという気持ちがあり、怖くて自分を出せず、相手に合わせていたころの自分は、自分の恐怖と対峙することに必死で、御仁に対する愛情以前に、自分をなんとかすることや単なる不安からくる御仁への執着でいっぱいで、自己愛でとどまっていたのではないだろうか。

 

自分の傷が癒される中で、御仁を本当に敬愛する気持ちを感じ、残り少ない人生の時間を御仁がやり遂げたい仕事を精一杯できるようにと心から願っている。

それができるために、近づきすぎないように遠くから見守るような距離を大切に意識してきた。

 

一方で、自分は自分の人生をしっかりと生きること、御仁には仕事上の大恩があるので、私が自分の仕事をしっかりと成し遂げることが御仁への恩返しになると思っている。だからこそ逢わない時は、逢えないことを嘆くより、精一杯、自分の仕事に注力するよう気持ちを整えてきた。

 

そんな風にお互いの人生をしっかりと生きるために、二人で過ごす時間は互いを癒し、またそれぞれが次の仕事にむかえるようなエネルギー補充の時間にできたらいいと思っている。

 

それがもし、私が私らしくありたいとか、自分の不快なことを相手が理解しがたいということが起きて、離れていた方がお互いにとってよりよい人生を進めるなら、そうしようと思う。

 

だからといって愛が消えるわけではなく、むしろ相手を愛するがゆえに、そうしたい。

 

 

ここ最近の自分の変化で、なんとなくそうかなと思っていたけど、今回の出来事でそれが確信に変わってきた。

 

「私は私で大丈夫。私はわたしのままで、御仁を愛することができる。」

 

 

このことに私が気づくために、今回の不快な出来事が起こったのかもしれない。

これまで長い間、自分を苦しめてきた自分のやり方を手放す時が来たよというサインかもしれない。

 

長い間のやり方は、体の隅々まで沁みついているので、今でも若干の違和感のようなものは感じている。

 

ふっとした瞬間に、これまで自分の中心にあった見捨てられる恐怖感のようなものが疼きそうになる。

 

けれど、そっと自分を俯瞰して眺めてみても、その恐怖の感覚は実態としては存在しない。感覚の残像に過ぎないようだ。

 

 

相手に執着しない本物の愛

 

自分の中に確固たる自信や強さを感じる初めての経験である。

よくここまで回復したなと思う。

 

御仁に出逢えたのは、ここに辿り着くためだったのかもしれない。

 

 

一期一会