吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

体が知らせてくれたこと

自分の世話をする

自分のケアをする

自分の声を聴く

自分の人生を往く

 

これらのことは、自分がACであることを自覚し、沢山の書籍を読み、意識しているつもりだったし、歳を重ねるごとに随分と実行できることも増えてきたと思っていた。

 

けれどこれまでの長い年月、自分のことを蔑ろにして、他人軸でがむしゃらに働いてきた体が悲鳴をあげ、先日私はとうとう眩暈で倒れてしまった。

 

吐き気に苦しみ一時は水分も受け付けず、4日間は仕事を休んでずっと臥床して過ごした。こんなにも長い間も何もしないで寝て過ごすのは、おそらく人生初めてではないだろうか。

 

アラフィフという年齢もあって、自分の人生はあとどのくらい残された時間があるのだろうかと、ふとんの中でぼんやり考えていた。

30代でも、40代でも、亡くなる人もいる。

自分だって、来年生きている確証はない。

体調不良は確実に自分に残された時間が多くないことを知らせている。

だとしたら、もっともっと自分のために生きることを真剣に考えなければと改めて思った。

 

仕事復帰してから、まるで演習問題のような出来事が起こった。

仕事のオファーが先方と折り合いがつかず、相手に寄るか、引くかという場面である。

 

まずはいつもの癖で、どのようにして相手に寄るかということを考えていた。

しかしすぐさま、これは病後の演習問題だと思い、次のように自分に問うた。

 

『この期に及んで、まだ私はこれまでのように、自分を犠牲にしてまで相手に寄るのか?』

 

その答えはNO!!

 

もう自己犠牲はやめます。

私がわたしらしく在ること、自分を大切にする仕事のスタンスが、相手と折り合わなくてもいい。

それは相手の自由。

けれど私は自分を犠牲にしてまで相手に合わせない。

お互い折り合わないのは仕方ない。

どちらも犠牲になる必要がない。

また折り合う相手をお互いに見つければいい。

お互いがそれぞれの望みをかなえればいい。

その望みをかなえるのが私でなくてもいい。

そこに罪悪感はいらない。

私らしくある私の仕事にオファーしてくれる相手に喜んで提供すればいい。

 

 

これまでは基本的にNOというのが苦手だったし、できなかった。

きっとNOと言ったら見捨てられる気がして怖かったのだと思う。

 

同じ出来事が、病の前に起こっていたら、いつものように自己犠牲的なやり方で仕事を受けていたかもしれない。

 

体が病をもって私に知らせてくれた。

 

もう時間がないよ。

もう自分のために生きなよ。

もう怖がらなくていいよ。

勇気を出して。

 

 

もう人の世話はしない。

自分のことをする。