吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

他人の感情に影響される ーネガティブ編ー

新年早々ネガティブ編とは、これ如何にというところだが、自分の中のネガティブを否定しないでしっかり感じきってあげることで、自分を大切にする練習にしたいと思うわけです。

 

私には姉が2人いるのだが、昨年末、私の態度によって姉の機嫌を損ねる事件が起こった。具体的には、姉の仕事上の話を最初は熱心に聴いていたのだが、途中から愚痴が長くなり、私は体調の悪さも手伝って聴いているのが辛くなってきて、態度に出ていたようだ。それが姉の癇に障ったようで、「つまらない話でしたね。」と言ってぷんぷんし始めた。姉が憤慨した瞬間、私は「まずいっ」と思うと同時に、心臓がどきどきしたのだが、すぐに言い訳する言葉も気力もなく、私は無言でやり過ごすことにした。

 

一人になった時に、なぜそんなにどきどきしたのだろうと振り返った。このドキドキは昔、父を怒らせたかもしれない、父が不機嫌かもしれないと察した瞬間の体の反応と似ていた。頭でまずいと思うだけでなく、胸がどきどきして体が緊張する感じだ。自分の反応を俯瞰してみると同時に、家族全体の毒としてこの状況を見たときに、姉が父と同じだと思えてきた。そう理解した時、私は父の感情を損ねないように、父を怒らせたなら機嫌がなおるように言い訳をしたりした過去を思い起した。そのような過去を思う一方、「私は他人の機嫌を取ることをやめるのだ」と改めて自分に言い聞かせた。私には自分の体調や気分という私の事情があるのであり、一方的に不機嫌になったのは姉の領域の話である。姉の感情は姉のものであり、私が姉の機嫌を取る必要はない。そこにはしっかりと境界線を持っていいのだと自分を励ました。

 

しかしこのような理解は、ACの私が教科書的に学んだ知識による解説であるが、やはり染みついたトラウマはなかなか手ごわかった。その後もずっと自分がどきどきして、不機嫌になった姉のことを恐れていた。正月ともなると、実家に姉妹が寄ることになるので、この恐れを抱いたままでは耐えかねると思い、AC的な理解のある2番目の姉に打ち明けた。2番目の姉は、本当の他人だったらもう会わないかもしれないし線引きの話はわかるんだけど、身内だから関係をつづけなきゃらないので、「聴いてたけど体調悪くって、ごめんね~」くらいは言ったほうがよかったのかもという意見だった。私は2番目の姉に並々ならぬ信頼を置いていて、普段からよく意見を求めるし、姉の意見に妙に納得してしまうところがある。今回の意見にも、妙に納得してしまい、「今回はもう仕方ないけど、今度から気を付けるよ。」と言った。

 

そんな2番目の姉の意見にも影響されつつ、今日になって、やっぱり今回のことも謝って説明を追加した方がいいだろうかと急に思い立った。そして新年のあいさつがてら当該の姉に「気分を悪くさせてごめんね。実は●●。」と長々としたLINEを送ったのだ。送ってからもしばらく既読にならず、「機嫌が悪いから、わざとスルーしているのかな」と悶々とし、既読になっても返信メッセージが来ないので、「やっぱりかなり怒ってるのかな。」「こんな気分になるんだったら、やっぱり言い訳のLINEしなきゃよかったかな。」「でも自分の不機嫌をぶつけてくるなんて子どもじみててむかつく」とざわざわした元旦の一日を過ごした。

 

そんな一日を過ごして、心が疲れ果てたところで、今思うことは、今回のいろいろな感情をすべて私が感じること、再認識することこそが大切だったのかなと。

*当該の姉の不機嫌な態度にどきどきしたこと。

*不機嫌さをぶつけてくる姉に腹が立っていること。

*2番目の姉の意見で自分の行動を変えたこと。

*2番目の姉の意見で行動した結果、当該の姉の既読スルーにざわざわしたこと。

*やっぱり自分の意見で動いた方がよかったかなと感じたこと。

 

そう思うと、ACに私が書籍を読み漁り頭で理解したつもりでも本当にはわかっていなかったけど、やっぱりそうかと納得できるまで理解するに今回の感情体験は貴重だったと思える。特に俯瞰で気づいたことは、不機嫌な姉に恐怖を抱きつつも、怒りを覚えている点である。姉の子どもぽっさを否定する私自身、私の中の不機嫌な子どもぽっさを否定しているんだなと気づいた。

 

私の中にある恐れが、すっかり解消できたわけではないけれど、明日は笑顔で実家に寄ろうと思う。

御仁との体験で学んだポジティブ編のように、私が恐れをもって姉に対峙すれば姉の怒りを引き出すだろうが、恐れを手放し自分を否定することなく在ればいいのだと思う。

 

私は自分を守る強さと、相手の感情を受け止める強さを持ちたい。

壬寅の年を迎え、寅の如き強さとそこに秘めた優しさを忘れないように。