吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

自分の気持ちはどうしたらわかるのか

AC的自分は、自分の気持ちを抑えて、周囲を優先させる能力が高い。

それを自分軸で生きなおすために、自分の気持ちをわかる練習中だ。

しかし自分の気持ちはどうやったらわかるのか、今日も悩んだ。

 

今日は御仁に逢う予定であった。

ここ最近の私は仕事が立て込み体調不良が続いていたが、御仁に言われたとなると少々無理をしてでも日程調整するというのが常であり、何とかなるだろうと予定していたのだ。

 

しかし、昨日もすこぶる調子が悪く、今朝も体のだるさによろよろしながらの出勤だった。

御仁に逢うためには、少々時間休を取ってあれしてこれしてと、ぐるぐると予定を考えていた。

これまでも体がしんどいことはあったが、逢えるとなると嬉しいから何となく元気が出てくるものなので、少々の無理は全然平気だった。

 

しかしAC的修行が進むにつれ、結局これって人のために自己犠牲に陥るAC的病気じゃないかと思うようになってきた。

 

さらに、年齢的なことも影響しているこのところの体調の悪さは、逢えれば元気になるというレベルを超えており、さらに私を悩ませた。

 

こんなにしんどいのに本当に逢いたいの?

本当は休みたいの?

 

何度自分に問うても、自分の本心がわからない。

 

「人の好意を断る」というのはAC的に最もハードルの高いスキルのひとつだ。

自分の気持ちがわからないならば、いっそのことAC修行の一環として、思い切って断る練習を実行してみたらどうかと、さらにぐるぐると考え始めた。

 

はてさて、このようなぐるぐるに一体どのくらいの時間を費やしただろうか。

 

「よし。決めた。断ろう。」

 

あまりに考え過ぎて疲れ果てたうえで、そう結論づけた。

 

そこからさらに、今度はどんな言葉で何というかという別のぐるぐるが始まった。

*仕事が終わらなくてと嘘をつこうか

*正直に体調不良といおうか

*体調不良で相手を心配させるといけない

*無理しなくていいよとしばらくお声がかからなかったら悲しい・・・etc

 

さらなるぐるぐるに疲れ果てた。

ひとまず準備をしつつ、御仁から時間の連絡が来た時の気持ちで決めようと思い、意図的に思考を止め、ふいにスマホを見たら御仁からのメッセージがあった。

 

体調が悪いので今日は休みたい

 

えええ・・・・先を越された。

AC的私にとっては、教科書のような断りの見本だ。

そうそう正直にこう言えればよかったんだよねと、自分に言ってあげたかった。

 

AC的練習としては、言われる前に自分が体調不良と言って断る練習したかったなと思い、「私も体調が悪かったので・・」と返信するかどうかで、さらにぐるぐるした。

 

しかし相手が体調不良だとわかった時に、自分の体調不良を伝えようなんて愚行だと思い、自分のことは棚上げにして返信することにした。

 

とにかくしっかり養生して欲しいです。

 

 

ほんとに些細なことだが、「・・・養生してください。」「・・・養生して欲しいです。」のどちらにするか、これまたしばらく考え込んで、何度も書き換えて、「欲しいです。」を採用した。

 

その意図は、自分の本心、欲求、要望がわからないAC的自分であるが、御仁にしっかり養生して無事でいて欲しいことだけは、明確な私のWANTSであることに確信がある。

だから、単に休むことを伝えるのではなく、私がそうして欲しいというIメッセージとして伝えようと思ったのだ。

 

こんなことにぐるぐると多くの時間を割き、他人の決断で幕引きとなる今日の自分。

 

そんな自分を俯瞰で眺めると、苦笑してしまう。

それでも自分を否定する気持ちはないので、少しはAC的成長もあるということだ。

こんな不器用な自分が愛おしい。

 

今日の出来事は、私が本当に言いたいことを私自身が知るための練習の機会を神様がくれたんだと思う。

 

私が私に言ってあげたい。

 

「体調が悪いので今日は休みたい。」

「とにかくしっかり養生して欲しいよ。」

「私は私の気持ちを正直に相手に伝えていいんだよ。」