吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

嫌なことを見つめると

最近は両親の自宅介護の件で、姉妹間で相談する機会が多くなってきた。

三姉妹の末っ子である私は、次女とは定期的にランチをして何でも話せる仲であるが、長女とは粗利が合わない部分があり若干距離をとっていた。

次女と私が長女の話をする話題は「悪い人ではないんだけどね・・・」と言いつつ、人任せな態度に腹が立つというような内容であった。

私や次女は基本的に老婆心が強く、「私が何とかしなければ」という傾向で動く。私よりも次女はその傾向がさらに強い。

そのため実家には長女と次女が住んでいるが、実父は長女は言っても拉致があかないからと次女にいろいろなことを指図し、次女は長女は何もしてくれず言うのもストレスだからと、馬車馬のように働いた。

私はそんな次女を哀れに思いつつ、長女の鈍感さや自由奔放さに怒りを感じた。

 

介護に関する姉妹間の役割として、家族内の意見調整、リーダーシップは長女、ケアマネジャー等の外部調整は私という分担であった。

しかし長女はその役割自覚が遂行できず、家庭内の調整意見を訪ねると「私はね~」と自分の意見を主張していた。

調整役とかリーダーシップとか自分の役割をわかってないのかと、その都度長女に対して怒りが湧いたが、けんかになるのもストレスなので小さなことは我慢しつつ、「家族内の意見の結論としてはどうする?」等のような質問をして、長女が答えるべきことに気づくように促した。

しかしあまりにも大きな決断の折や、次女や私の意見が踏みにじられたと感じる時には堪忍袋の緒が切れて、「調整役だよね?次女の意見、私の意見を脇において、自分の主張するなんてあんまりじゃない?」と真っ向勝負を挑んだ。

 

長女だからできるはずとか仕事上でも管理職である長女なのだからできなければというのは、私の思いではあったが、それは私の悪い癖である「べき論」かもしれないという気持ちもある。

実際には「べき論」に対して自分も他人も「できなことがある」というのが事実であり、べき論によって自分の首を絞めてきたのだから、自分も他人にもできないことを赦す段階にきているのかなと思ったりした。

さらに俯瞰してみると、私は家族内で横暴であった父に対して怒りをもっており、虐げられた母に同情していた。

私は男に虐げられる女にならないことを自分の信条として、強くなること、強いもの(男や権力)に負けないことを目指して生きてきた。

そんな自分の生き方が限界となり精神科やACの知識セラピー等の支援が必要になった。

そういう中で出来事を俯瞰的に見つめると、自分の中に様々な思い込みがあることに気づいた。

・母は虐げられた女ではなかったかもしれない。

・母は弱い女ではなかった。

・弱いのは母ではなく父だった。

・私から見える次女は母の投影、長女は父の投影。

・母を助けたかった私は、いま次女を助けたいと思っている。

・横暴な父に向けた怒りは、いま横暴な長女に向けられている。

・自分の指示に逆らう怒鳴りづけた父への反発は、妹の意を汲まず指図する長女への反発になっている。

・長女だからとて調整能力がなくても仕方ない。

・次女は母のように自己犠牲的に見えるかもしれないが、次女自身が決断している。

・長女は自己中心的かもしれないが、私も自分を中心に生きてよい。

・周囲の状況や機微を長女は見えないかもしれないが、私は見える。

・長女と私、次女と私、父と私、母と私というように誰かと比較対象の必要はない。

・姉に●●いわれるのが嫌だから●●のようにするというのはやめる。

・他人を基準にすることなく自分の内側に沸き起こる善きこと基準にして行動する

 

この両親の下に生まれたこと、この姉妹の下に育ったこと、自分に用意された人生の舞台でどのような自分になるのか。

両親最期を前にして、これまでの自分の人生の集大成として今の自分の精一杯の自分で在りたいと思う。