吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

すべては自分のために起きていた

ある時から御仁に対し自分から連絡はとらず、相手から来たことに対応した。

邪魔したくないという相手を思いやる気持ちがないわけではないが、鬱陶しいと思われたくない、クールに見せたい等、本来のありのままの自分ではダメなのだという恐れに動かされていたのかもしれない。

 

先日の地震の時、無性に御仁にコンタクトして欲しい気持ちに駆られた。

いつもなら、自分に湧いた思いを抑えるのが得意なはずなのに、どうしてもこの気持ちを御仁に伝えたくて抑えられなかった。

 

「せめて地震等の時くらい、大丈夫かって連絡して欲しい」

 

自分でどうしようもなくなったので、もうえいやってLINEしてしまえと感じ、その結果、子どもっぽいやつだとか、嫌われても、だってしょうがないや、自分でどうしようもないし、これが今の自分なんだものという気持ちだった。

こんな風に自分の気持ちと向き合って、自分を無視しないで行動することは、とても稀なことで自分で驚いていた。

特に御仁に対しては、御仁を立派な人格者であると神格化している分、子どもじみた自分では駄目だというブレーキがかかっていたので尚更驚いた。

 

多分、これが共依存的な相手だったら、すぐさま私の心中を察して、

「連絡しなくてごめんね。地震怖かったね」等と私の機嫌を取ってくれたかもしれない。

 

御仁という人は、私のそんな大層な葛藤は知る由もなく、健全でたわいもない返答だった。

「この辺はそんなに揺れてないよ。連日暑い最中の多忙を極めクタクタだよ」

 

まあ、御仁ならそうくるよね。

清水の舞台から飛び降りるかの如くの私のLINEの裏にある気持ちは御仁がわかるはずもなく、その必要もないんだよねと、御仁の自分ごとの返信を見て理解した。

 

さらには御仁が私に歩調を合わせ機嫌を取るでもなく自分ごとを言ってる態度から、私のことは私が自分ごととすることが大切なのだと思った。

つまり自分が自分の機嫌を取るということだ。

以前の私なら自分ごとの御仁のコメントを見た途端、自分の発言を後悔し罪悪感に駆られ、

「しんどい時に自分のことばかり言ってすみません。」

と返信しただろうと思う。←実際そういう事があった

 

しかし今回は違った。

自分に湧いた気持ち否定して蔑ろにしないと決意した。

ここで諦めず、ちゃんと自分の気持ちを正直に御仁に伝えるよう気張ろうと思った。

「お疲れさま。逢わない分、せめてLINEのやり取りしたいな〜と思いながら抑えていたので、ついつい言ってしまいました。回復お祈りしてます。」

 

こんな風にありのままの気持ちが書けた自分にちょっと驚きつつ、自分を大切に出来た気がして嬉しかった。

もはや御仁がどう受け止めようとどうでもいいというか、どんな受け止めもすべてOKという気持ちだった。

めんどくさいからと離れることになっても別にいいしと。

 

この一連の出来事を眺めているとふと思ったのだ。

今回の湧き出る衝動やこれまでの様々な出来事はすべて、自分が何かに気づくためや何かをクリアするために起きていたのだ。

そしてその時々のゴールは、善悪や正しさ、相手の反応なんかじゃなく、自分に問い確認するしか出せない正解。

 

「貴女これで満足した?」

「貴女が嬉しい?」

「貴女気持ちいい?」

 

まだ油断するとついつい他人軸になり、他人にとってよきことを探し、⚪︎⚪︎さんがこうだから、⚪︎⚪︎さんがああだからと、他人を主語にしていることにはっとすることもある。

 

しかし改善は気づくことからであり、その都度、他人から離れて自分の場所に戻ってしっかり自分の声を聴こう。

今回の衝動はそれに気づくために降りてきたのだと思う。

すべては自分が気づくために起きているのだとわかった。

 

だからこそ自分の成すべきことに邁進する御仁との出会いを神様がくださったのだ。

ありがとうございます。感謝。