吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

結局は自分だった

前々回の投稿で、誕生日スルーにまつわる件を長々と書いた。

書きながら気持ちを吐き出していくうちに、御仁がスルーしたことが問題な訳ではないよなぁと思えてきた。

そもそも誕生日をスルーされる自分は価値が無いように感じるという、私自身のあり様が根底にある。

さらに、スルーされて傷が疼くことで、無価値観というものはあるよと知らせてくれていたにも関わらず、私は自分の心からの様々な感覚に蓋をして無かったことにしようとした。

言ってみると、自分いじめだ。

そもそも、私の心の傷から発せられるメッセージは、御仁に何とかして欲しいよおと言っていたわけでなく、私自身に対してわかってよぉ、何とかしてよぉと叫んでいたのではないか。

 

「スルーされたって、わたしには価値がある、私の価値は変わらないわよ。無価値だなんて、なんて酷いこと言うのよ。もっと私に優しくして欲しいわ。もっと仲良くして欲しいわ。胸を締め付けたのは、貴女に気づいてもらうためにやったのよ。私は御仁に幸せにしてもらう必要無いし、御仁は私を幸せにできないわよ。だって私を幸せにできるのは貴女しかいないんだもの。

貴女が私と仲良くするためには、思わしくない気持ちが出てきた時こそ優しくして欲しいわけよ。それを誕生日から半年以上抑え込んで、ダメだめ言ってきたよね。あの時にずばっと御仁に言えばよかったじゃない。「お祝いしてね〜」とか。「スルーしたら嫌よー」とか。とにかく御仁じゃなくて、貴女に何とかして欲しいわ!…」

 

この時のポイントは、私が言ったことを御仁がやってくれたかどうかではなく、そういう気持ちが在ることを、ありのまま正直に伝えられるかどうかだ。今までは、そんな気持ちがまるで無いかのように振る舞ったし、むしろ悟られないようにしていた。これは自分への冒涜なのだ。

 

そのような気持ちが在ることを伝えられたら、御仁が叶えるかどうかは相手に委ねることだから、期待しないことも大切かなと。

ただ相手が叶えない場合、私に価値がないからだ等というジャッジに繋げないよう自己点検が必要かなと。忘れられても、何があっても私の価値は変わりません!びしっい。

 

自分が自分を心底愛せたら、誰かが何してくれなくても平気になる。

自分自身から湧き立つ愛情は他の人々にとどけられる。

傷を癒すのは自分しかいない。

まだしばらく時間が必要そうだ。

それでも諦めず、自分なりのペースで少しずつでも前に進める。