吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

自分の人生を他人に明け渡さない決意と自分の人生を生きる覚悟

ACに起こることのひとつに「親に人生を乗っ取られる」というのがある。

最近の出来事を振り返るのに、この言葉がふと降りてきた。

親の理不尽さに抗って、正面からぶつかって、傷ついて、家を出て、今でも距離を取っている。

親の言う通りにはならない、親に自分の人生を邪魔されたくない、親に振り回されたくない....etc

私は特に父親の言動にイライラすることが多かったが、最近は父のことも随分俯瞰できるようになったもんだと思える出来事があった。

父は娘たちの都合はお構いなしで、自分の都合のいい道具のように使う。

それでも年老いた父をサポートするために、娘たちで何とか調整して努力してきた。

いつもは自分はしんどいのだから電話もできないといい、様々な場所への電話を娘たちが対応しているのだが、先日は自分の勝手を通すために勝手に病院に電話をしていた。

姉たちは、この対応に悪戦苦闘し怒りをもっていた。

私はというと、もちろん腹立たしい気持ちはあるが、父の自分勝手は今に始まったことではないので、ああまたかという気持ちと、父親だからといって私は貴方に自分の人生を振り回されないという決意を新たにしたものだ。

 

精神科医斎藤学氏が「親を捨てたっていい」という趣旨のことを言っているが、自分ごととしてそこまで思うことはなかった。

しかしもうそろそろ、親だから、世話になったから、もう高齢なのだから、だから自分が我慢すればという毒親育ちが持ち続けた思考を手放してもいいのではないかと思う。

 

「捨てる」という強い言葉を使う必要はないのかもしれないが、親を優先して、自分の人生を犠牲にする必要はないと思う。

父は「皆に迷惑かけないように施設に入る」といいつつも、本気で入ろうとはしておらず、周囲に様々な要求を押し付けている。

迷惑かけたくない気持ちが本気なら、もっと配慮できるんじゃないのかな、それができないんだったらもう施設に入ればいいんじゃないかなと思う。

 

話は変わるが、今日ブログを書こうと思った理由は、父のことを踏まえた自分自身のことだ。

前述には、私から見た父の嫌な部分を書いたが、娘たちの中で最も父親に性格が似ているのは私だ。嫌悪する気持ちが一番強かったのが私であり、それに抗った結果が、嫌になるくらいそっくりなのだ。

自分の気が済むまで相手を遣り込めるところ、人をコントロールしようとするところ、自分が気に入るように人が動いてくれないと癇癪を起すところ、人の態度で自分が傷つけられたように感じてゼロ100で縁を切ろうとするところ…etc

父のことを反面教師にして、結局、人をコントロールしようとすることは、自分の人生が他人によって左右されることとイコールなのだと気づく。

人をコントロールしようとする背景には、人の機嫌が気になっているし、人の機嫌が悪いと自分の存在価値がないように感じられて不安になるという心理がある。

lineの返信が遅いのは、怒っているのかもしれないとか、●●してくれないのは私が何か悪いことをしたからかもしれない、●●してくれないのは云々。

昨日書いたような、人に対する「怖さ」「恐れ」というのは、過去の体験に基づく癖なので、一足飛びにはなくならない。

今日は、昨日からの自分の中にある「恐怖」と付き合うと腹をくくり、一日中ごろごろして自分をとにかく甘やかすように過ごした。

そして夕方になって少しずつエネルギーが復活して思い浮かんだことは、

「恐怖は一足飛びに消えないが、恐怖を持ちながらも自分の人生を生きるにはどうしたらよいか?」

という問いだった。

そうだ恐怖があることが悪いわけではない。

人に対する恐怖によって自分のしたいことができないことがだめなんだと気づいたのだ。

人に対する恐怖によって自分のしたいことができないというのは、「あの人は怒っているのかもしれない」「あの人は、〇〇」「あの人は●●」といって、自分の行動の可否を他人のせいにしているに過ぎないのであり、つまり自分の人生を他人に明け渡しているということなのだ。

だから、「あの人は」という他人を主語にして、自分の人生の言い訳をするのをやめて、「私はどうなったら嬉しい?」と自分を主語に自分の人生を問うことにする。

「あの人は怒っているかもしれない」というのは過去に基づく恐怖の妄想であるが、

「私はどうなったら嬉しい?」というのは、今に基づく未来の妄想なのである。

幼い頃の恐怖体験により危険回避のために相手の怒りを察知するスキルが高く、そのスキルは時に度を越えた妄想にまで及ぶことが多々ある。

しかし妄想力があるならば、それを別の方向で活用すればいいかなと思う。

恐怖心に消えろと言わずに、今から自分事があるから脇で待っててねと声をかけ、

「私はどうなったら嬉しい?」と自分に問うて、それに基づいて行動する。

「自分からLINEしちゃったほうが、待っててやきもきするよりよりいいわ。」と自分と相談して決めたらそうする。そうしたら、あとは相手の返信が3分後であろうが、3日後であろうが、それは相手の都合であり、私の人生とは関係ないので手放す。

まだまだぎこちないかもしれないが、いちいち自分と相談して、相手の人生と自分の人生をしっかり区別して、自分にできることはやり、自分にできないことは手放すということを地道にやろうと思う。

それが自分の人生を他人に明け渡さないという決意であり、自分の人生を生きるという覚悟なのだ。