AC的な自分は、物事を白か黒かで評価し、
だめなことが起きるとシャットダウンして、
全てを否定する性質がある
この性質こそが、自分自身を批判し、
自分を見捨てるという苦痛の根源といえる
白黒やZERO百という考えは良くないとわかっていても、体から抜けない染みつき感、自動機能装置が作動した
それがここ最近少し和らいできた気がする
私はだめなとこばかりじゃない
私は頑張ってきた
私なりに精一杯やってきた
でもだめなこともある
悪いこともする
それでいいじゃない
何が悪い❓
そう思えたら、人を見る目も和らいできた
あの人ほんと仕事遅いわ
でも頑張ってるな
いろいろ忙しいのだろうな
私にはわからない苦労もあるやろに
改めて斎藤学先生の書籍にある回復と成長の10のステップを読み返してみるとステップ4の辺り
私は親の何に怒りを持っていたか
一方、親と一緒に過ごした中で感じた温もりはどんなことか
彼らからしてもらったこと
彼らにして返したこと
そのバランスシートを書くことが進められている
父の横暴さに対峙して強い女になりたかった
男性と肩を並べることに拘る一方で、
男性や権力者に怯えた
いつまでも自己中で家族を道具のように使う父を嫌悪し怒りを持った
今も80歳を越えよぼよぼしながらも、病院に付き添った私の言動に腹を立て罵声浴びせる。
サポートしてくれた娘に感謝を忘れ批判する
父の罵声の最中、私は深呼吸をして俯瞰することに集中した
すると、人を批判することで自分を正当化したいか弱い人間が見えてきた
医療者に見せる建前的な姿と家族にぶつけたい弱さ
父は普段から正論をかざして、人を非難してぶつかってきた
正論とは裏腹な自分はもはや家族にぶつけるしかなかったかもしれない
そんな見方をしていると、
いつも自分の思いどおりの自分ではいられないなと思う
すると歳を重ねようが、人生の終末を迎えようが、人は自分をどうしようもないんだなと思う
だから、今の自分と1秒後の自分に矛盾があっても当然かなと思う
どんな自分も受け入れるというのは、人も自分も瞬間で変わるのであり矛盾は当たり前だとわかることかなと。
まあどんなにわかっても、
嫌なものは嫌なので、父を送迎して実家を早々に立ち去った。
受け入れるのと、我慢は違いますから。