人は「真の自己」と「偽りの自己」との混合物である。
「偽りの自己」の塊のような人もいなければ、100%「真の自己」という人はいない。
ときに憂うつになり、ときに恐れ、ときに嫉妬し、ときにごまかす、それでいいではないか。
斎藤学:「生きるのが怖い少女たち」より抜粋
混合物という言葉が、私の心にすっと入ってきて、何度も読み返す箇所だ。
白黒つける、正しさを振りかざす、ゼロか百かで人を切捨てる等、二分律的思考の生きづらさを抱えてきた。
世の中はグレーなんだと言われて、頭で理解した気になるが、二分律思考から抜け出せずにいた。
斎藤氏の上記の言葉を目にした時、「そうか、自分が混合物なのか!」と腑に落ちたのだ。
世の中が、人が、のように自分以外のものとして理解しようとしてもわからなかったのだが、
私自身が混合物であるから、コロコロと気分が変化しながら存在してる、それでいいのだという体感。
この感覚に救われた。
動じたくない自分は、浮き沈む自分の感情が許せなかった。
感情は自分ではなく流れていくものと言われても、浮き沈む自分は駄目だと感じた。
しかし、そもそも混合物なのだから、それでいいではないか。
誕生日等に拘ることを、そんなことでという人もいるけれど、
私は拘りますよ。何が悪い?別にいいでしょ?
誕生日をスルーされても平気な人にならなければと、
落ち込んでいる自分を叱咤して、悲しみを押し殺して、我慢して、自分を苦しめた。
自分を抑え込むのはやめて、自分を喜ばせる工夫をしよう。
来年は、御仁にスルーされてもやもやしないよう、
「今日は誕生日ですよ!」って自分から言おう。
人の機嫌を伺うのをやめて、自分の機嫌を取る。
人の世話焼きをやめて、自分の世話をする。
平気な振りをしない。
自分を抑えつけない。
自分をにこにこにする。