同行二人は四国巡礼の際、弘法大師も一緒に歩いているよという意味だ。
最近ようやく心の落ち着きを感じ始め、
自分の中にいる批判される自分と批判する自分という二人の存在を感じられるようになった。
対人恐怖者である自分が最も恐れていたのは、
他人ではなく、自分の中にいる自分を批判する自分だったんだとわかった。
また、批判される自分と批判する自分というこれら二人は、
最近ようやく和解したようなのだ。
「、、、ようなのだ」という言い回しは、
つまりこれら二人は私自身ではなくて、
私という真の存在の場所に、
そんな二人が住んでいるというような、
飼っているというような、
俯瞰した自分がいるという感覚があるからだ。
ずっと苦しんだ過去、
マインドフルネスや禅の本も読み漁った。
そこに感情は自分ではなく、流れる雲のようなもの
と書いてあるが分かるようでわからなかった。
今、私が俯瞰してみている二人が、
この流れる雲なんだと理解する。
何とか生き延びて、ようやくここまで来た。
これまでの出来事や出逢った全ての人に感謝する。
青山元不動白雲自去来