ACや依存性について知ってから、夫は私の心の穴を埋めるためのおっぱい男だと理解した。
決して自立した強い人間とはとても付き合えない。
私のわがままに振り回されてくれる人間を選んだのだ。
しかし子どもが生まれたことで、おっぱい男のおっぱいは子どものものとなり、私の手に入らなくなった。
そこから夫婦関係が悪化し、私の精神状態も悪化した。
カウンセリングやセラピーに通い、紆余曲折を経ながら、依存性から回復し、自分と過ごせるようになってきつつあった。
そんな折、今晩は久しぶりに、夫から若干モラハラ的な仕打ちを受け、私の中の子どもが悲しんで泣いていた。
ちなみに、モラハラ的という受け止めも、あくまで私の中の子どもがそう感じたのであって、大人的にはそうでもないのかもしれない。
しかし自分は回復してきていると思っていただけに、他人の仕打ちによって自分が傷ついていることが、ショックだった。
そのため、今一度自分が持っているACや依存性の知識を総動員して、今回の出来事はどのように解釈したり、受け止めればいいのかなと考え込んでしまった。
今後はまだ冷静に考えられていないかもしれないが、悲しい気持ちに対して、これだけは注意しようと思う。(思いつくまま)
●悲しんでいる自分は駄目だと責めない
●悲しみを感じる
●悲しみから目を逸らさない
●悲しむことを止めない
●悲しみの感情を相手にぶつけない
●悲しみの感情を他人に解決してもらおうとしない
●悲しいのね〜と自分と対話する、自分に付き合う
そういえば、自分の感情、特にネガティブな感情は、自分のそういう気持ちに気づくために起こるのだと読んだことがある。
もしかすると、子どもの頃からずっと自分の悲しみを抑えてきた私に、悲しくて当然だよと、悲しみは抑えなくていいんだよと、悲しみをしっかり感じてあげてねと、悲しんでる貴方は悪くないよと、悲しい時は私が貴方を抱きしめるよと、いつでも私は貴方の味方だよと、いつでも私は貴方の側にいるよと、どんな貴方も大好きだよと、そんな風に私が私の中の傷ついた小さな自分に声をかけるための出来事なのかもしれないなと思う。
もうおっぱいは要らない。
自分の子どもは自分で世話が出来るところまで来たようだから。