AC的に、老婆心で人の世話を焼いてしまう癖がある
世話焼きの挙げ句の果てに、自分がぼろぼろになっていたり、自分のことが棚上げになっていることがある
最近は、老婆心を手放そうと意識している
しかし気づけば、またやってしまったという反省の繰り返しである
そこで改めて、一体、老婆心とはなんだろうかと考えてみる
老婆心で誰が幸せになれたのだろうか。
老婆心ってよくないことだろうか。
老婆心で、私が得たものはなんだろうか。
人の世話を焼いて、成果がもたらされたら私が嬉しい。
しかもその人に感謝されたら、さらに私が嬉しい。
どうやら老婆心から私が得るものには成果と承認の2つがありそうだ。
さらに成果を深掘りしてみる
どうやら2種類ありそうだ。
ひとつは、その人にとっての成果
もうひとつは、私自身が欲する成果
私が手放すべきは、他人の領域で自分を消耗するような老婆心
私は私自身が欲する成果に注力すればよいのだ
私自身が欲する成果は、達成すればその人も喜ぶかもしれないが、
もしその人からの感謝や承認がなくてもどうでもよくて、
何より私自身が嬉しくなるものだ
もはやそれは老婆心とも呼ばないのかもしれない
私が求めるのは、承認ではなく成果である