吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

他人を否定したくない、と思わない!

 

どういう経緯だったか思い出せないのだが、何日か前に別のブログでこのようなタイトル記事に出逢った。すごく惹かれて読んでみると何だか、当時の自分にやたらしっくりきた。

 

ブログ記事に何が書いてあるかというと、

他人を否定したくない、悪く思いたくないというのは、自分の本心を捻じ曲げることになるから、ロクなことがないっ!と書いてある。

嫌なものは嫌なんだから、そんな風に思っちゃだめだというのをやらないこと!

 

そっ、そうだよねー。だよねー。

 

妙に納得・・・。

 

日常的な私の行動は、どちらかというと正反対で、坐禅をしたり反応しない練習を読みふけり、人の感情に巻き込まれず、人の悪口を言わず、否定的な言葉は一切口にせず、人の良い面だけを見て、常にポジティブな言動や行動をする人を目指そうと思っていた。

満月・新月をチェックし、満月の日には手放したいと想うことを、新月の日にはこれから増やしたいことを、アファメーションとして前向きな言葉、感謝の言葉を添えて紙に書いてみましょう~というようなスピリチュアル的なサイトを見ては、真剣にノートに書き綴っていた。

 

「私は〇〇を手放しました。ありがとう。」

「私は〇〇が叶いました。心から感謝いたします。」

「・・・・」

 

これまでの自分の素直な感情をなぜそんなにも押し込めようとしたのだろうか???

AC的な生き方だったのだろうか???

 

そっか、嫌なものは嫌だよねーって言ってもいいですねっ!

って思ったら、

これまで自分が押し込めてきたことが、急に馬鹿馬鹿しく感じたし、

自分の前だけでも、もういい子になるのやーめたっと思える瞬間だった。

 

特に私の場合、御仁を敬愛するあまり、御仁に対する嫌な感情を押し込めていた。

2人で過ごしている時でも、昔の彼女の惚気話をしたり、仕事のパートナー女性を私と比べて褒めたりされることが多々あり、私は嫉妬のようなマイナス感情で心が痛かった。

けれど、完全に押し殺し、クールな自分にならねばと必死に笑顔で平静を装った。

だけど本当は御仁に怒っていた。

 

人として深慮・配慮・遠慮という配慮が大切だよというわりに、私という女性に対する貴方の配慮はないのか?

昔の女性との惚気話も現在のパートナーと比較されることにも、平気でいられない私が悪いのか?

 

怒り・怒り・怒り

 

敬愛する御仁といえども、やっぱり配慮に欠けることあるわけだ。

そんな配慮のなさで、私が平気でいられないのは当然だ。

怒るなら怒ってよし。ぷんぷんぷん。

 

そう吐き出したからって、御仁に対する愛情がなくなるわけではない。

私が吐き出したってなにも減らないのだ。

ただ吐き出さなかったら、私の心は泣いていた。

 

他の誰かが私に何かをしてくれたりしてくれなかったりはどうでもよくて、

大切なのは、私が私を否定しないことなんだ。

他人に対するどんな悪態をついてもいい(他人にはぶつけてはいけませんが)。

ただ悪態をつきたくなる自分の気持ちを素直に認めてあげよう。

 

実のところ今宵の私は御仁に対してとっても怒っているっ!

でも御仁が大大大好き。

 

もちろん自分も。