吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

もやもやサイン

今日は久しぶりに、

他人の顔色から悪い妄想がわき、もやもやした。

 

あのことを怒ってるのかな。

あのことを誤解してるのかな。

裏で悪口言われてるかも。

etc…。

 

おっと

これらは他者に関する妄想だ

ではでは自分はどうなのか自分に問うてみよ

 

自分の行動にまったく悔いなし

 

ということなの放っておこう

 

もやもやサインは

自分に対するOKの知らせだった

 

 

 

 

変わらなくていい

ずっとずっと努力してきた

今のままじゃだめだ

 

もっと立派な人間に

もっと冷静な人間に

もっと賢く

 

 

もっと、もっと、もっと…

 

今のままじゃだめですか?

何故だめなんですか?

誰に言われたのですか?

その人の言う通り変わらなければ、どうなるのですか?

誰に迷惑かけるのですか?

 

 

もういいじゃないですか?

 

くよくよしたって

いらいらしたって

やきもちやいたって

拗ねたって

 

他人に当たり散らすわけじゃない

迷惑かけるでもない

 

私の内側では、自由なはず

好き勝手でいい

 

もう

 

変わろうとしません

どんな自分もただそのまま眺めてます

 

受け止めるとか、受け入れるとか、

それさえも、もうややこしくてわかりません

 

ただ自分を眺めてます

そうしたいと思います

 

変わらなくたっていい

 

 

他人を通して自分に出逢う

私がACの自分について話せる人は、実姉と友人との2人くらいだ。

実姉には、日常で事ある度に話を聞いてもらうことがある。

しかし私自身の日常が最近落ち着いていたので、AC的側面で話す機会はあまりなかった。

 

今日初めてオンラインでACの当事者と話す機会があった。

私が自分の体験を話す時、自分の声が一瞬震え、涙声になりそうだった。

そうなった自分に自分が驚いた。

 

最近はAC的話をしなかったために、その存在を隅に追いやってしまっていただけ、

でもいたんだよね貴方、

悲しかった貴方、

怖かった貴方、

泣いてた貴方、

震えてた貴方、

怯えてた貴方

寂しかった貴方、

 

ごめんね。

 

貴方のこと大切にしてなかった

大丈夫。

貴方がいることわかったよ。

貴方が大好きだよ。

貴方が大切だよ。

大丈夫。

安心して。

怖がらなくて大丈夫。

私が貴方を守るからね。

どんな時も。

 

他人との会話を通して、私の中の子どもに久しぶり逢えたことに感謝。

 

貴方、来てくれてありがとう。

また逢おう。

 

感情を俯瞰する力

「 他者 の 願望・期待 を 読み取り、 それ に 合致するよう生きようと常に努力し続ける こと」

 

斎藤学氏は共依存をこのように定義した。

なんと適格に私のことを表している表現だろうかと、思わずうなってしまう。

 

常に他者の願望・期待を読み取る癖がある自分は、その時々の感情が、実は自分のものではなく、他者のものであることがある。

それが理解できたのは、共依存に関する知識を得たからであるのだが、

知識として知っているということと、自分と他者の感情が区別できるかどうかというのは別の話だ。

 

私は常に事象を俯瞰してとらえることができるようになりたいと思い努力してきたが、自分に何度問うても、わからない時も多い。

 

それって自分の気持ち?

それともあの人の期待をかなえたいからなの?

期待をかなえたいというのも私の気持ちということでいいのかな?

自分は本当はどうしたいのかな?

 

???

 

そもそも他者の期待に応えたいというのは、人間のもつ自然な気持ちなので、良いも悪いもないが、共依存の場合はそこに自己犠牲的な無理な行動があったりということである。

 

私が共依存についての知識を持ったら持ったで、

他者の期待に応えようとしている自分は間違っているというジャッジを下しているのかもしれない。

 

ささいなLINEのやりとりでさえ、

御仁からしばらく連絡ないからコンタクトしたいな・・・

でも自分から連絡しないで、御仁に合わせて待てる自分になりたい気もする・・・

その方がカッコいい気がするし・・・

でも連絡こなかったら寂しいな・・・

でも私から連絡しないと御仁が心配するかもしれないし・・・

 

???

 

もうわからんです。

 

でも

御仁が心配するかも

御仁が寂しがるかも

御仁が・・・

御仁が・・・

 

こんな風に他者の気持ちの心配が出てきたときは、

たいていその主語を自分に置き換える方が妥当なことがわかってきた

 

御仁がじゃなくて

私が心配なんだ

私が寂しいんだ

 

他者のではなく、そんな私の感情を私が感じてあげようと思う

 

え、それ本当に他者の気持ち?

それって私の気持ちなのでは?

私はどう感じる?

どうしたら嬉しい?

 

 

そんな風に、感情を俯瞰していく力が少しずつついてきた

もっともっと自分の感情を大切に眺めてみよう

 

怒りや不安、もやもやした中にこそ、

自分の大切な気持ち

怯えて縮こまったり、泣いている、インナーチャイルドがいる

 

今日はLINEをしないで、

自分のもやもやをよくよく眺めて、

インナーチャイルドが顔を出したら、

ぎゅっと抱きしめてあげようと思う

 

誰よりも誰よりも

貴方が大好きだよ

安心して一緒に眠ろう

 

 

 

 

1.5人で

ゴールデンウイークというのに、特別なイベントはない。

日々は仕事で疲れてしまってなかなか取り組めない自分の書き物に取り組もうと思ってはいた。

 

けれどいざ休日となると、天気もいいし、屋内に籠って書き物している気分でもないなと思ったりする。

 

普段はほとんど会話もせず、一緒に何かすることもあい連れ合いであるが、子どもと出かけるというので、同行したいなと思った。

というのも、子どもは恐らく来年くらいには家を巣立つだろうから、仲が悪いなりにも3人での思い出をつくるというのもありではないかという想いが、最近急に湧いてきたのだ。

 

しかし普段の関係が悪いだけに、急にそんなことを言い出すのもかなり勇気のいることだった。

 

「私も一緒に行っていいかな」

 

思い切って言ってみた。

すると夫は首を横斜めに振った。

 

 

「あ、じゃあやめとくね」

 

普段の行いが悪いのだから、急に言い出してもだめか・・・。

そんなこんなで、以前ほどはショックもない。

 

しばらくは、家に籠ってビデオを見ていた。

それもしばらくして、いい加減に飽きてくる。

 

よし。人に頼らず、自分のことしよ。

 

あそこに行こうか、ここに行こうか、いろいろと思案してみる。

でもいまいち気持ちが乗らない。

 

そうだ。やっぱり溜まっている書き物を仕上げるというのが、自分の最優先事項だ。

なんだかんだと言って逃げないで、自分に向き合おう。

 

自分と自分を慰める自分。

そう1.5人の私で自分の成すべきことを成そう。

 

 

 

 

斎藤学氏との出逢いとACの力

あることをきっかけに、私はAC回復における自分の物語を書き留めておこうと思いたった。ここに、日々の徒然と区別して、ACからの回復にもがいてきた道のりを思い出しながら記述する。

 

私は昔も今も生きづらさを抱えて、2000年に初めて渋谷でカウンセリングを体験した。そこでは主に交流分析をベースにしていた。カウンセリングを受けることで随分楽にはなったが、もちろん問題が一掃されるわけはなく、燻りながらも何とか生き延びてきた。

 

斎藤学氏の書籍に出逢いACを認識し、当時麻布十番にあったIFFでカウンセリングを受けたのは2010年頃だ。斎藤氏の診察を直接受けることはなかったが、オープンカウンセリングの参加者の一人として、斎藤氏とのやり取りを体験した。またIFFのカウンセラーは斎藤氏のスーパーヴィジョンを受けていたので、「カウンセラーを通じて、私のメッセージを伝えます」と斎藤氏は述べていた。

 

初めてのカウンセリングを受けたときは関東在住であったが、2005年には地元である地方へ転居していた。東京への出張が多かったので、麻布十番でのカウンセリングを受けることにしたのだが、当時のどのような出来事に突き動かされたのかは、記憶が薄れている。

 

ただ記憶にあるのは、当時私が読んだ斎藤氏の書籍とは、その前から購入して所有していた依存症がタイトルになっていた。その帯には「アルコール依存」という文字が記載されていた。当時から夫の酒癖に不快感をもっていた私は、それを何とかしたいという気持ちから、日が暮れる中一気読みした。今でもベッドの上で、ひたすら読んでいた当時、日が暮れた光景が目に焼き付いている。

 

この本を夢中で読んだ結果わかったことは、夫の酒癖を何とかする方法ではなく、私自身がACであり、私自身を何とかしなければならないということだった。そこから、私のACへの学びが始まったように思う。

IFFのカウンセリングにも複数回通い、予約日時を書いた個人カードを自分の回復への勲章のように思ったものだが、気が付けばどこかに失くしてしまった。最後のカウンセリングがどうであったのか、いつだったのかも思い出せないが、地元での多忙さ、東京への出張の機会が減ったこと等、いろいろが重なってカウンセリングから遠のいた数年前に、IFF相談室が閉鎖することをネットで知った。斎藤氏も高齢であったことから、その後お元気だろうかと気にはなっていたが、とうとうクローズされるのかと残念に思った。

 

その後も、斎藤氏がお元気だろうかと気にはなりつつも、ACや毒親に関する他者の書籍を読む機会が増えていた。ここ半年くらいの間に、ふと斎藤氏の書籍を読み返していると、その語り口調の中にクライエントに対する深い愛情が感じられ、とても癒される気持ちがした。そして改めてこれまで所有していた斎藤氏の書籍を読み返すとともに、もう入手困難になるだろう講演集などをネットで買い漁った。

 

そこで私が十分には理解できていなかった斎藤氏の治療者としてのスタンスを改めて理解した。彼が最も主張しているのは、「クライエントの持つ力」についてだ。その力をエンパワメントすることが治療者の役目であり、また共通する仲間に出逢い、自分を語ることによって、クライエント自身が自分には力があることを理解するのだということ。斎藤氏の記述の中には、症状ではなくその人自身がどういう人なのかに興味があるのだということを語っている。食べ吐きできることだって、その人の持つ力なのだと。

 

そういえば、IFFのカウンセラーから「あなたには力がある」という言葉を聞いたことを思いだした。それはきっと、カウンセラーを通じた斎藤氏のメッセージだったのだと改めて理解した。

 

当時、さいとうクリニックのクライエントでもあったライターの栗原誠子氏が、斎藤氏との対話をまとめた書籍があることを最近になって知り、早速取り寄せて読んだ。そこには、斎藤氏が治療者であるというだけでなく、クライエントと向き合う人間として、苦悩する姿を感じた。私のような自己評価の低い人間は、意識的にも無意識的にも治療者を自分より高い位置に見ているところがあるが、斎藤氏の姿はまさに人間対人間の対話の大切さを説いており、彼自身が一人の人間として全身全霊を向けてクライエントに向き合ってきたことが伝わってきた。

 

「私はあなたに関心をむけています、あなたの話を聴きます、手紙を読みます」と。

 

講演集の中では、斎藤氏が向き合ってきた多くの患者の物語が記されている。それらの物語はジャッジではなく、そのクライエントにとって大切な意味のある人生の物語として示されているように感じた。誤解されそうで微妙なのだが、これは虐待や性被害など、そのものを肯定することとは違う。しかしたとえ起こったことが、辛いことや悲惨なことであったとしても、それをなかったことにすることはできず、起こったことを含めて、その人の大切な人生を紡いでいくことだと理解する。それだけの力を持っているのだから、勇気をもって自分の人生を歩めというエールだと感じた。

 

「起こることはすべてに意味がある」とスピリチュアル系のサイト等で、このような言葉を目にするたびに、頭ではわかった気になっていた。

 

けれども、虐待の中で生き延びることは、表面上の言葉で何とかなるような甘いものではない。無力な子どもが凄まじく傷付けられ、無力感に苛まれながら、食べ吐き、リストカット、引きこもる等して、どうにか生き延びてきたことが、それでも生きてきたことに敬意を表していることだ。そして、そんな自分をこれ以上、自分で虐めないことだと助言する。

 

そうだ。私も辛かった。辛さを言葉にすることさえできず、非行的な行動があった。けれども、それこそが私の力だ。そうして生き延びてきたのだ。

 

斎藤氏の文章から伝わる温かさに触れ、これまで辛さを抱えながらも必死に生きてきた自分に敬意を払おうと思えた。またそこに流れていた自分の力を認めようと思った。さらに、斎藤氏のように人の人生に向ける関心の力や、同じ傷をもつ仲間との分かち合いの力、自分の人生を自分が語る力を改めて感じた。

 

そこで私は改めて自分のために自分の人生を語ろうと思った。

定点的には自分が完全には回復していないことに愕然とすることも多いのだが、長い目で見たときに自分が少しずつでも回復してきていること、そのために必死にもがいてきた自分に敬意を払い、そんな自分を愛おしいと思い、自分の軌跡を残そうと思った。

 

斎藤氏が今お元気にされているかどうか気になりつつも、彼のこれまでの仕事が、少なくとも私という人間にある力に気づかせてくれ、前に進む大きな勇気を与えてくれたことに心より感謝する。

 

斎藤氏に心より敬意を表し、ここにわたしの物語を記す。

 

なんだか寂しいがそれでいい

先日の同僚からの上げ足事件から、少々メンタルの調子が悪い

 

やっぱり他人って怖い

人に心を許してはならない

平然な顔をして、裏でいろいろな批判をする

 

そんな気持ちになっている

AC的自己は、いつもゼロか百か、白か黒かで物事を判断する癖がある

 

いかん、いかん、またACの悪い癖がでているぞと自分をなだめてみる

けれど、まだ自分の心が回復しない

 

そういえば、今年の正月早々、一番上の姉とのやり取りで、自分はひどく怯えていたことを思い出す

 

あの時も含め、過去を振り返れば様々な傷を抱えて自暴自棄になりながらも、少しずつ回復しているし、少々忘れたことだってある

 

いろいろなことは時間が解決してくれることもあるから、このまま時間が過ぎるのを待とうという気にもなる

 

2番目の姉とは年齢も近く、幼い頃からメンタル的にもとても支えてもらう存在である。

今でも、辛いことがあれば、ラインで助言を求めたり、電話で話を聴いてもらったり、私のメンタルの最後の砦的な存在だ。

その姉との間ではめずらしく10日ほど前に、姉を怒らせる事件が勃発した。

一言でいうと私の配慮が欠けていたということなのだが、ここ最近のメンタルの落ち込みに追い打ちをかける出来事として、私にとっての大打撃だった。

 

私はちょっとした姉のラインの言葉尻を通じて、「怒っているのかな」と想像しては、拒絶感や見捨てられる感じを覚え、心がびくついていた。

 

それにしても、姉との諍いが起こる前には、最近は姉に泣きつく回数が減っていたので、私も少し自分が強くなったのかなと思っていた。

 

それなのに・・・

まだ心の傷が疼いている・・・

もう傷は回復したと思っていたのに・・・

やっぱりまだ私は回復していないのか・・・

 

そんな気持ちになり、少々絶望感すら感じた。

 

自分の心の支えであった姉から見放される気持ちが辛過ぎて、私はラインで謝罪をした。すると姉にとっては、今回のことをあまり問題にしていないことがわかった。

 

なんだ、私の思い過ごしか。。。

 

今日、久しぶりに姉に逢って、これまでのようによもやま話をしながらも、自分のここ最近の様々なメンタル事件が癒されないことを実感した。

今回のことは、いかに私が自分の心の世話を、姉とはいえ、自分以外に委ねてしまっていたのかに気づくこととなった。

 

自分を癒すのは自分。

私が私の世話をする。

 

これまでも頭ではわかってはいたはず。

だが、姉には頼り過ぎていたのだと思う。

 

それが最近はあまり泣きつかなくなったなと気づいたうえで、姉との間の諍いに対して自分が見捨てられる恐れを抱いたことで、私はもう私に任せる時がきたよということの知らせだったようにも思う。

 

私の尊敬する精神科医斎藤学氏が、AC的寂しさは渇望的なもの、でも大人はしんとした寂しさがあると述べていた。

 

人間は一人だ。寂しいのはあたりまえ。

寂しいが昔抱いていた渇望的な寂しさとは明らかに違う気がする。

 

なんだか寂しい。

そんな自分を受け止める。