吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

感情を俯瞰する力

「 他者 の 願望・期待 を 読み取り、 それ に 合致するよう生きようと常に努力し続ける こと」

 

斎藤学氏は共依存をこのように定義した。

なんと適格に私のことを表している表現だろうかと、思わずうなってしまう。

 

常に他者の願望・期待を読み取る癖がある自分は、その時々の感情が、実は自分のものではなく、他者のものであることがある。

それが理解できたのは、共依存に関する知識を得たからであるのだが、

知識として知っているということと、自分と他者の感情が区別できるかどうかというのは別の話だ。

 

私は常に事象を俯瞰してとらえることができるようになりたいと思い努力してきたが、自分に何度問うても、わからない時も多い。

 

それって自分の気持ち?

それともあの人の期待をかなえたいからなの?

期待をかなえたいというのも私の気持ちということでいいのかな?

自分は本当はどうしたいのかな?

 

???

 

そもそも他者の期待に応えたいというのは、人間のもつ自然な気持ちなので、良いも悪いもないが、共依存の場合はそこに自己犠牲的な無理な行動があったりということである。

 

私が共依存についての知識を持ったら持ったで、

他者の期待に応えようとしている自分は間違っているというジャッジを下しているのかもしれない。

 

ささいなLINEのやりとりでさえ、

御仁からしばらく連絡ないからコンタクトしたいな・・・

でも自分から連絡しないで、御仁に合わせて待てる自分になりたい気もする・・・

その方がカッコいい気がするし・・・

でも連絡こなかったら寂しいな・・・

でも私から連絡しないと御仁が心配するかもしれないし・・・

 

???

 

もうわからんです。

 

でも

御仁が心配するかも

御仁が寂しがるかも

御仁が・・・

御仁が・・・

 

こんな風に他者の気持ちの心配が出てきたときは、

たいていその主語を自分に置き換える方が妥当なことがわかってきた

 

御仁がじゃなくて

私が心配なんだ

私が寂しいんだ

 

他者のではなく、そんな私の感情を私が感じてあげようと思う

 

え、それ本当に他者の気持ち?

それって私の気持ちなのでは?

私はどう感じる?

どうしたら嬉しい?

 

 

そんな風に、感情を俯瞰していく力が少しずつついてきた

もっともっと自分の感情を大切に眺めてみよう

 

怒りや不安、もやもやした中にこそ、

自分の大切な気持ち

怯えて縮こまったり、泣いている、インナーチャイルドがいる

 

今日はLINEをしないで、

自分のもやもやをよくよく眺めて、

インナーチャイルドが顔を出したら、

ぎゅっと抱きしめてあげようと思う

 

誰よりも誰よりも

貴方が大好きだよ

安心して一緒に眠ろう