以前は他者の言動によく腹を立てていた
腹を立てていたのは自分を守る為で
本当は傷ついていたのだ
他者の何気ない言動と
自分の無価値観を結んでいたからだ
相手が挨拶しないのは自分を蔑ろにされている
自分には価値がないからだ
自分はよく思われていないetc
他者の言動や現実に起こる出来事を全てを
自分のせいだとする思考はACの特徴だろう
出来事と自分を区別して俯瞰して捉えることが大切だとわかっていても、胸の奥が疼いていた
今日、職場の新人が資格試験に合格したお祝いに飲みに行こうと長老たちが話していた
私は同室だが部署が違うので、その話を遠巻きに聞いていた
自分の心を俯瞰で眺めてみた
もしかして誘われるかなあと、少しそわそわしないでもないが、落ち着いていた
誘われたら行かなくもないが、その新人があまり好きでもなく、凄く行きたいという感じもしない
そう思いながらも、以前の私は、誘われなかったら、自分の無価値観に苛まれ、
ひどく凹んだだろう
なのにあれ❓
今は凹んでないな
誘われたらむしろめんど臭い
このままスルーしてくれたら楽かもしれない
こんな自分の素直な気持ちを感じられる自分に驚きや嬉しさがある
私は出来事を自分の無価値とつなげたり
罪悪感を感じることを手放せたのかな
もう他者の言動に傷付かないでいられるのかも
ここまで長い道のりだったな
また振り子のように戻ることもあるだろな
でもいいや
時に傷ついて
また立ち上がり
また傷ついて
また自分を慰めて
傷付く自分も愛しいや