吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

貴方という支配を捨てる

機嫌取りと配慮の違いについて以前も触れたことがあるが、この二つの違いが体感として十分理解できないでいた。

今日は満月ということもあり、久しぶりに手放すことについて紙にかきだしてみようと思い立った。

機嫌取りと配慮という近接した事柄として、誕生日にまつわるエピソードが思いついた。

 

私は自分の誕生日に何かしてもらうことに、猛烈に拘りがある。

誕生日何もしてもらえないと、あるいは忘れられると、見捨てられ感が湧き出てきて居てもたってもいられない気持ちになるのだ。

昨日まで何とか生きてきた自分が、とてつもなく無価値な人間に思えてくる。

誕生日なんて全く気にならないという知人もいるが、私には理解できない。

 

そこで、誕生日にまつわる様々な気持ちを書き出してみることにした。

誕生日をスルーされるのは私は価値がないからだ

誕生日をスルーするということは、私に愛情がないからだ

誕生日をスルーされる自分は見捨てられる

 

さらに、「してもらうこと」「してあげること」に考えを広げてみた。

してもらえない自分は価値がない

してくれないと消えたくなる

 

してあげないとあのひとが悲しむ

してあげないと怒られる

してあげないと見捨てられる

してあげないと消される

してあげないと縁を切られる

 

こうやってかきだすと、してもらえない不安より、してあげないことに対する恐れが沢山出てきた。

そして、ここでイメージされたあの人として、実父が浮かんでいた。

 

実父は自分の思い通りにならないと切れるDV男だった。

そんなDV男には負けるもんかと闘ってきたものの、私の心の中では小さな子どもが怯えていたのだ。

その子どもは、大人になった今でも、まだ心の中で寂しそうに怯えているのだ。

そのため、誕生日というパーソナルな事柄に反応して泣いていたのではないか。

私はまだここ居るよ、ここで泣いているよと。

 

実父が私たち子どもをコントロールしようとしてきたのは事実であり、

私の人生に影響したことも事実だ。

しかし、その事実と今の私の在り方は関係ない。

そのことを、私の心の中で泣いている小さな子どもに、はっきりと繰り返し伝えたいと思う。

 

貴方(実父)が私を捨ててもいい

貴方が私を捨てたければ捨てればいい

縁を切りたければ切ればいい

貴方は貴方がしたいようにすればいい

貴方が私に何をしてもしてくれなくても、私が完全であることに変わりがない

貴方は私をコントロール出来ない

私は貴方をコントロール出来ない

私は私をコントロール出来る(全てではない)

私は貴方にコントロールされない

私は貴方に私をコントロールさせない

私は貴方の機嫌は取らない

私は私の機嫌を取る

私は貴方の顔色を伺わない

私は私の気分を気にかける

私は貴方に何かを頼まれてもしたくないことはしない

私は貴方の言動に対して、自分の声に従って時にNOという

私はあなたによって傷つけられたりしない

貴方は貴方のしたい事、言いたいことをいえばいい

私は私のしたい事、言いたいことを言う

 

どんな時でも、貴方も私も、独立していて、自由で、完全だから。

貴方からしてもらわなくても、私は自分を愛し世話をし満たされている

私は自分を決して見捨てない

 

今の私は無力な子どもじゃないから、

貴方という支配はもういらないl

 

満月の天に捨てます

さようなら貴方