吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

本当にしたいことは自分とだけ相談する

私にとっては少々高額な油絵を購入するか1週間ほど悩んだ。

 

年末に偶然入った百貨店の画廊で心を掴まれた作品だった。

 

ひとまず帰宅して一人で考えた。

 

自分が好きと感じたことを否定しようとする思考ばかりが浮かんできた。

 

自分がこんな金額を払っていいのか?

今は入用だから我慢すべきでないか?

断捨離しようって時に物を買うのはやめたほうがいいのではないか?

自分はこの絵が好きって思い込もうとしてないか?

etc・・・

 

しかし、いつも自己否定の強い私が、

今回は自己否定しようとする自分にもやもやしていた。

 

いつも自分が信じられず人の意見を求めようとする私が、

この気持ちを誰にも否定されたくないと感じ、

誰にも相談したくないと思った。

 

そういえば・・・。

これまでの人生の選択の中でも、

本当に大切なことは誰にも相談しないで自分で決めてきたな・・・。

 

そんな自分を批判するごとく、

人生の選択の際に、いろいろな人に何度も相談している友人を見て、

この友人には相談する力があるのだなと感じ、

自分には相談する力が不足しているのだなと思っていた。

これからは相談する力を磨いたほうがいいのかもと思ったりした。

 

でも今回とてもわかったことがある。

本当にしたいことは自分とだけ相談すればいい。

それでいいのではないかと。

 

気に入った絵を買うことを決断したら、

あんなに次々と浮かんできたもやもや否定が吹っ飛んだ。

 

まあええじゃないかと。

 

自由に自分を選ぶ一年に

これまでの人生はずっと

べき論で自分を縛ってきた


こうでなければならない

出来ない自分は駄目だ

こんな自分は見捨てられる


自分を縛ることは同時に他人も縛るのであり

あんないい加減なの許せない

他人に腹が立つた


そうして自分も他人も苦しめて

私は孤独だった

 

精神科医斎藤学氏の著書の中で、

次の言葉に目が止まった。

「病気でいることの自由、

病気をやめることの自由」

 

そうか、そのどちらであることも

私は自由に選べるのだな。

選べる中で、私が選んでいるのだな。

私自身が選んでいるならば、

責める必要ないよな。

だって、選びたくて選んでいるのだから。

 

そこで自分への新年のメッセージ

 

他人の視線が気になる自分も

他人に我関せずな自分も

おやつを食べすぎる自分も

ストイックな自分も

3日坊主な自分も

他人に厳しい自分も

他人に怯える自分も

がむしゃらに仕事する自分も

片付けが苦手な自分も

さぼる自分も

作り笑顔な自分も

むっとする自分も

批判する自分も

世話焼きな自分も

構ってちゃんな自分も

子どもっぽい自分も

優柔不断な自分も


自分は自由に自分を選ぶ

 

他人がどれほど批判しても

私は選んだ自分を慈しむ


他人が選んだ他人を尊重する

 

卯年元旦に

自分と他者の気持ちを見極める

自分と他者の感情が入り混じる

 

投稿内容にもやっとしても

わたしがこうしなかったら

あの人が悲しむかも

あの人が心配するかも

あの人がむっとするかも

 

あの人が…

あの人が…

 

あの人の気持ちなんて私にわかるの❓

あの人の気持ちを私がケアする必要あるの❓

あの人がむっとしたら私は困るの❓

 

あの人の気持ちは私にわからない

あの人の気持ちはあの人のもの

あの人の気持ちをケアするのはあの人

あの人がむっとしたければあの人の自由

 

私は私の気持ちを感じよう

私はどんな気持ちを持つのも自由

私はむっとしたらむっとする自分を感じていい

私は嫌だと感じたことをしない権利がある

私は私の気持ちをケアする

 

私は自分と他者の気持ちを見極めて

自分の気持ちを道標に往く

自然には勝てない

これまで御仁に逢えるならと

体調不良も含め随分と無理をしてきた

 

でも寒さは大の苦手

自然には勝てない…

 

いや、自然に逆らうのはやめよということか

体調不良なら休むのが自然

 

諍うことなかれ

ありのままに流れていけばいいんじゃないか

 

 

 

いちばん大切な貴方へ

他人の機嫌を取ることをやめて、

貴方の機嫌を伺うわね

 

他人のことを気にかける前に、

貴方のことに心を配るわね

 

他人の世話をしてないで、

貴方のお世話をするわね

 

他人にニコニコ仮面してないで、

貴方が心から笑顔でいられるように〜

 

いちばん大切な貴方は私

期待してがっかりする自分からのメッセージ

相手が喜ぶかなと優しい言葉かけや振る舞いをする

時には心からそうしたいと思ってることもあるが

自分にそうして欲しいという要求が潜んでいることも多い

 

私は持病のある

御仁の体調をいつも気にかけている

生きてさえいてくれたらと思うのは正直な気持ち

 

でも私があなたにするように、私のことも気にかけて欲しい

という自分の気持ちが見えてきた

 

すると自分が偽善者のように感じてしまう

AC的にはそんな自分の気持ちは、当然よねって受け止めてあげたい気もする

受け止めなければという、強迫観念かもしれないが…

 

あるいは私が人の世話より自分自身をもっと気にかけて欲しいという

自分からのメッセージなのかもしれない

 

そんな出来事から2日経過

いろいろな感情は浮かんでは消えて、また浮かんでは消えて往く

 

感情は私ではない

 

浮かんでは消える雲のような感情をしっかり眺めていよう

決して雲を追いやろうとせず、どっしりと

 

#青山元不動白雲自去来

傷付いても傷付かなくてもどっちもいい

以前は他者の言動によく腹を立てていた

腹を立てていたのは自分を守る為で

本当は傷ついていたのだ

 

他者の何気ない言動と

自分の無価値観を結んでいたからだ

 

相手が挨拶しないのは自分を蔑ろにされている

自分には価値がないからだ

自分はよく思われていないetc

 

他者の言動や現実に起こる出来事を全てを

自分のせいだとする思考はACの特徴だろう

 

出来事と自分を区別して俯瞰して捉えることが大切だとわかっていても、胸の奥が疼いていた

 

今日、職場の新人が資格試験に合格したお祝いに飲みに行こうと長老たちが話していた

私は同室だが部署が違うので、その話を遠巻きに聞いていた 

 

自分の心を俯瞰で眺めてみた

 

もしかして誘われるかなあと、少しそわそわしないでもないが、落ち着いていた

誘われたら行かなくもないが、その新人があまり好きでもなく、凄く行きたいという感じもしない

そう思いながらも、以前の私は、誘われなかったら、自分の無価値観に苛まれ、

ひどく凹んだだろう

 

なのにあれ❓

今は凹んでないな

誘われたらむしろめんど臭い

このままスルーしてくれたら楽かもしれない

 

こんな自分の素直な気持ちを感じられる自分に驚きや嬉しさがある

 

私は出来事を自分の無価値とつなげたり

罪悪感を感じることを手放せたのかな

もう他者の言動に傷付かないでいられるのかも

 

ここまで長い道のりだったな

また振り子のように戻ることもあるだろな

 

でもいいや

時に傷ついて

また立ち上がり

また傷ついて

また自分を慰めて

 

傷付く自分も愛しいや