吾唯足知 うさこの独り言

自分の声を聴く・・・

1.5人で

ゴールデンウイークというのに、特別なイベントはない。

日々は仕事で疲れてしまってなかなか取り組めない自分の書き物に取り組もうと思ってはいた。

 

けれどいざ休日となると、天気もいいし、屋内に籠って書き物している気分でもないなと思ったりする。

 

普段はほとんど会話もせず、一緒に何かすることもあい連れ合いであるが、子どもと出かけるというので、同行したいなと思った。

というのも、子どもは恐らく来年くらいには家を巣立つだろうから、仲が悪いなりにも3人での思い出をつくるというのもありではないかという想いが、最近急に湧いてきたのだ。

 

しかし普段の関係が悪いだけに、急にそんなことを言い出すのもかなり勇気のいることだった。

 

「私も一緒に行っていいかな」

 

思い切って言ってみた。

すると夫は首を横斜めに振った。

 

 

「あ、じゃあやめとくね」

 

普段の行いが悪いのだから、急に言い出してもだめか・・・。

そんなこんなで、以前ほどはショックもない。

 

しばらくは、家に籠ってビデオを見ていた。

それもしばらくして、いい加減に飽きてくる。

 

よし。人に頼らず、自分のことしよ。

 

あそこに行こうか、ここに行こうか、いろいろと思案してみる。

でもいまいち気持ちが乗らない。

 

そうだ。やっぱり溜まっている書き物を仕上げるというのが、自分の最優先事項だ。

なんだかんだと言って逃げないで、自分に向き合おう。

 

自分と自分を慰める自分。

そう1.5人の私で自分の成すべきことを成そう。

 

 

 

 

斎藤学氏との出逢いとACの力

あることをきっかけに、私はAC回復における自分の物語を書き留めておこうと思いたった。ここに、日々の徒然と区別して、ACからの回復にもがいてきた道のりを思い出しながら記述する。

 

私は昔も今も生きづらさを抱えて、2000年に初めて渋谷でカウンセリングを体験した。そこでは主に交流分析をベースにしていた。カウンセリングを受けることで随分楽にはなったが、もちろん問題が一掃されるわけはなく、燻りながらも何とか生き延びてきた。

 

斎藤学氏の書籍に出逢いACを認識し、当時麻布十番にあったIFFでカウンセリングを受けたのは2010年頃だ。斎藤氏の診察を直接受けることはなかったが、オープンカウンセリングの参加者の一人として、斎藤氏とのやり取りを体験した。またIFFのカウンセラーは斎藤氏のスーパーヴィジョンを受けていたので、「カウンセラーを通じて、私のメッセージを伝えます」と斎藤氏は述べていた。

 

初めてのカウンセリングを受けたときは関東在住であったが、2005年には地元である地方へ転居していた。東京への出張が多かったので、麻布十番でのカウンセリングを受けることにしたのだが、当時のどのような出来事に突き動かされたのかは、記憶が薄れている。

 

ただ記憶にあるのは、当時私が読んだ斎藤氏の書籍とは、その前から購入して所有していた依存症がタイトルになっていた。その帯には「アルコール依存」という文字が記載されていた。当時から夫の酒癖に不快感をもっていた私は、それを何とかしたいという気持ちから、日が暮れる中一気読みした。今でもベッドの上で、ひたすら読んでいた当時、日が暮れた光景が目に焼き付いている。

 

この本を夢中で読んだ結果わかったことは、夫の酒癖を何とかする方法ではなく、私自身がACであり、私自身を何とかしなければならないということだった。そこから、私のACへの学びが始まったように思う。

IFFのカウンセリングにも複数回通い、予約日時を書いた個人カードを自分の回復への勲章のように思ったものだが、気が付けばどこかに失くしてしまった。最後のカウンセリングがどうであったのか、いつだったのかも思い出せないが、地元での多忙さ、東京への出張の機会が減ったこと等、いろいろが重なってカウンセリングから遠のいた数年前に、IFF相談室が閉鎖することをネットで知った。斎藤氏も高齢であったことから、その後お元気だろうかと気にはなっていたが、とうとうクローズされるのかと残念に思った。

 

その後も、斎藤氏がお元気だろうかと気にはなりつつも、ACや毒親に関する他者の書籍を読む機会が増えていた。ここ半年くらいの間に、ふと斎藤氏の書籍を読み返していると、その語り口調の中にクライエントに対する深い愛情が感じられ、とても癒される気持ちがした。そして改めてこれまで所有していた斎藤氏の書籍を読み返すとともに、もう入手困難になるだろう講演集などをネットで買い漁った。

 

そこで私が十分には理解できていなかった斎藤氏の治療者としてのスタンスを改めて理解した。彼が最も主張しているのは、「クライエントの持つ力」についてだ。その力をエンパワメントすることが治療者の役目であり、また共通する仲間に出逢い、自分を語ることによって、クライエント自身が自分には力があることを理解するのだということ。斎藤氏の記述の中には、症状ではなくその人自身がどういう人なのかに興味があるのだということを語っている。食べ吐きできることだって、その人の持つ力なのだと。

 

そういえば、IFFのカウンセラーから「あなたには力がある」という言葉を聞いたことを思いだした。それはきっと、カウンセラーを通じた斎藤氏のメッセージだったのだと改めて理解した。

 

当時、さいとうクリニックのクライエントでもあったライターの栗原誠子氏が、斎藤氏との対話をまとめた書籍があることを最近になって知り、早速取り寄せて読んだ。そこには、斎藤氏が治療者であるというだけでなく、クライエントと向き合う人間として、苦悩する姿を感じた。私のような自己評価の低い人間は、意識的にも無意識的にも治療者を自分より高い位置に見ているところがあるが、斎藤氏の姿はまさに人間対人間の対話の大切さを説いており、彼自身が一人の人間として全身全霊を向けてクライエントに向き合ってきたことが伝わってきた。

 

「私はあなたに関心をむけています、あなたの話を聴きます、手紙を読みます」と。

 

講演集の中では、斎藤氏が向き合ってきた多くの患者の物語が記されている。それらの物語はジャッジではなく、そのクライエントにとって大切な意味のある人生の物語として示されているように感じた。誤解されそうで微妙なのだが、これは虐待や性被害など、そのものを肯定することとは違う。しかしたとえ起こったことが、辛いことや悲惨なことであったとしても、それをなかったことにすることはできず、起こったことを含めて、その人の大切な人生を紡いでいくことだと理解する。それだけの力を持っているのだから、勇気をもって自分の人生を歩めというエールだと感じた。

 

「起こることはすべてに意味がある」とスピリチュアル系のサイト等で、このような言葉を目にするたびに、頭ではわかった気になっていた。

 

けれども、虐待の中で生き延びることは、表面上の言葉で何とかなるような甘いものではない。無力な子どもが凄まじく傷付けられ、無力感に苛まれながら、食べ吐き、リストカット、引きこもる等して、どうにか生き延びてきたことが、それでも生きてきたことに敬意を表していることだ。そして、そんな自分をこれ以上、自分で虐めないことだと助言する。

 

そうだ。私も辛かった。辛さを言葉にすることさえできず、非行的な行動があった。けれども、それこそが私の力だ。そうして生き延びてきたのだ。

 

斎藤氏の文章から伝わる温かさに触れ、これまで辛さを抱えながらも必死に生きてきた自分に敬意を払おうと思えた。またそこに流れていた自分の力を認めようと思った。さらに、斎藤氏のように人の人生に向ける関心の力や、同じ傷をもつ仲間との分かち合いの力、自分の人生を自分が語る力を改めて感じた。

 

そこで私は改めて自分のために自分の人生を語ろうと思った。

定点的には自分が完全には回復していないことに愕然とすることも多いのだが、長い目で見たときに自分が少しずつでも回復してきていること、そのために必死にもがいてきた自分に敬意を払い、そんな自分を愛おしいと思い、自分の軌跡を残そうと思った。

 

斎藤氏が今お元気にされているかどうか気になりつつも、彼のこれまでの仕事が、少なくとも私という人間にある力に気づかせてくれ、前に進む大きな勇気を与えてくれたことに心より感謝する。

 

斎藤氏に心より敬意を表し、ここにわたしの物語を記す。

 

なんだか寂しいがそれでいい

先日の同僚からの上げ足事件から、少々メンタルの調子が悪い

 

やっぱり他人って怖い

人に心を許してはならない

平然な顔をして、裏でいろいろな批判をする

 

そんな気持ちになっている

AC的自己は、いつもゼロか百か、白か黒かで物事を判断する癖がある

 

いかん、いかん、またACの悪い癖がでているぞと自分をなだめてみる

けれど、まだ自分の心が回復しない

 

そういえば、今年の正月早々、一番上の姉とのやり取りで、自分はひどく怯えていたことを思い出す

 

あの時も含め、過去を振り返れば様々な傷を抱えて自暴自棄になりながらも、少しずつ回復しているし、少々忘れたことだってある

 

いろいろなことは時間が解決してくれることもあるから、このまま時間が過ぎるのを待とうという気にもなる

 

2番目の姉とは年齢も近く、幼い頃からメンタル的にもとても支えてもらう存在である。

今でも、辛いことがあれば、ラインで助言を求めたり、電話で話を聴いてもらったり、私のメンタルの最後の砦的な存在だ。

その姉との間ではめずらしく10日ほど前に、姉を怒らせる事件が勃発した。

一言でいうと私の配慮が欠けていたということなのだが、ここ最近のメンタルの落ち込みに追い打ちをかける出来事として、私にとっての大打撃だった。

 

私はちょっとした姉のラインの言葉尻を通じて、「怒っているのかな」と想像しては、拒絶感や見捨てられる感じを覚え、心がびくついていた。

 

それにしても、姉との諍いが起こる前には、最近は姉に泣きつく回数が減っていたので、私も少し自分が強くなったのかなと思っていた。

 

それなのに・・・

まだ心の傷が疼いている・・・

もう傷は回復したと思っていたのに・・・

やっぱりまだ私は回復していないのか・・・

 

そんな気持ちになり、少々絶望感すら感じた。

 

自分の心の支えであった姉から見放される気持ちが辛過ぎて、私はラインで謝罪をした。すると姉にとっては、今回のことをあまり問題にしていないことがわかった。

 

なんだ、私の思い過ごしか。。。

 

今日、久しぶりに姉に逢って、これまでのようによもやま話をしながらも、自分のここ最近の様々なメンタル事件が癒されないことを実感した。

今回のことは、いかに私が自分の心の世話を、姉とはいえ、自分以外に委ねてしまっていたのかに気づくこととなった。

 

自分を癒すのは自分。

私が私の世話をする。

 

これまでも頭ではわかってはいたはず。

だが、姉には頼り過ぎていたのだと思う。

 

それが最近はあまり泣きつかなくなったなと気づいたうえで、姉との間の諍いに対して自分が見捨てられる恐れを抱いたことで、私はもう私に任せる時がきたよということの知らせだったようにも思う。

 

私の尊敬する精神科医斎藤学氏が、AC的寂しさは渇望的なもの、でも大人はしんとした寂しさがあると述べていた。

 

人間は一人だ。寂しいのはあたりまえ。

寂しいが昔抱いていた渇望的な寂しさとは明らかに違う気がする。

 

なんだか寂しい。

そんな自分を受け止める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分との関係

4月17日天秤座の満月

人間関係を見直すタイミングらしい

 

かつての私は、他人のことを軸にして、自分のあり方や人間関係を捉えてきた。

 

他人からどう見られるか。

他人がどう評価するか。

 

いま改めて、人間関係を考える時、

私は自分との関係を想った。

 

これまで、他人のことばかり見て、私は私を蔑ろにした。

私は自分の声を聴こうとしなかった。

いつも自分自身を無視して、自分の側にいてあげなかった。

 

いま私が最も仲良くしたい人は、私だ。

最も大切にしたい人は、私だ。

ずっと話を聴いてあげたい人は、私だ。

いつも側にいてあげたい人は、私だ。

 

私はACで傷ついた自分をいじめることをやめました。

自分を罰することをやめました。

人に対する、期待は棄てました。

 

私はやんちゃな自分、子供っぽい自分、焼き餅焼きな自分、拗ねちゃう自分、どんな自分も大切にしています。

 

愛してるよ、私。

ありがとう、私。

 

他人は私を守らない

自分を守るのは自分であって、他人は私を守らない。

 

とても当たり前のことだ。

 

なのに何故、ずっとずっと他人の顔色を伺い、機嫌を取り、自分を良く見せよう等としてきたのか。

 

頭では何度も何度も、自分を自分で守ろうと決心しつつ、できないでいたのか。

 

きっと、自分で自分を受け止めるには、自分のことが心許なく、他人にOKもらわないと安心出来なかったのだろうと思う。

 

最近、職場の同僚に揚げ足を取られような出来事があった。私に非はあるが、同僚に対して、真っ向から私を非難しないでいて欲しい、どんな私も受け止めて欲しいという、甘えたい気持ちがあったと思う。

 

しかし実際には、冒頭のようなことが現実である。このような現実に私が気づくための出来事だった。

 

最初に非難された時、私は心身が硬直するのを感じた。さらに、この凍りつく感じに、身に覚えがあった。

 

何だろうと深掘りすると、父に怒られる時の感覚が蘇った。

 

その都度、見捨てられる恐怖を感じる一方で、怒りが入り混じる気持ちだった。また、根底には、どんな私であっても、見捨てないで欲しいという嘆きがあった気がする。

 

そんな悲しみを抱えつつ、私は父の時に理不尽な批判に、真っ向から立ち向かっていた。これで死んでも自分を曲げないぞという気持ちだった。

 

今回の件でそんな過去を思い起こしながら、命懸ける程、父に受け入れて欲しかった、結局は甘えたかったのだと改めて理解した。

 

私は若干アウトローな性質を自覚しているが、これも結局、悪い自分も含めてどんな私でも、その存在を受け入れて欲しいという世間を試すような甘えい欲求があったのではないかと思う。

 

あるいは、他人に受け入れて欲しくて、自分を抑えている反動のようにして、自分のアウトローな部分は、私が私の欲求に正直で、自分にOKを出せているのではないか。つまり、仮面をつけた自分はいつも他人の評価に過敏であるが、アウトローな自分については、他人に非難されるのが自明であり、自分の内側、自分の殻の中で、自分だけが認めてあげられる部分なのだ。

 

他人の評価を気にする自分をいつも責めてばかりいたが、アウトローではあってもちゃんと自分を認めてあげていたではないか。

アウトローな私を他人は非難し、受け止めるなんてしない。それは私のトラウマ的幻想であり、当たり前に他人は私を守らない。

 

今回の出来事では、私が幻想を捨て、そんな他人をありのままに受け止められる時が来た知らせだった。

 

他人は私を守らない。

私は私を守る。

絶対に。

 

自分の声に従って選択する

今日は御仁との予定を自らキャンセルした。

理由は体調が悪くて気持ちが向かないから。

私が用事以外の理由でキャンセルするのは、記憶上は2回目かと思う。

 

これまでは、どんなに疲れていても、自分の予定を調整してまでも、逢うことにしてきた。

 

逢いたい気持ちは確かにあるが、明らかに無理をしていたと思う。正確には、断ることの恐れが強すぎて、逢いたい以外の自分の気持ちの声が蓋をされ、もはや聴こえないしわからない時もあったのかなと思う。

 

そんなこんなで亀の歩みではあるが、日々自分の声を聴く練習はしている。今日は御仁の体調が少々よくないことがわかり、私の心のハードルが下がったことをきっかけに、改めて自分の声を聴くことにした。

 

貴女はどうしたい?

貴女はどっちが嬉しい?

 

…⁇

 

「今日は一人になって自分自身と仲良く過ごしたい。」

 

「わかった。今日は御仁との予定変更するね!」

 

恐れなくても大丈夫だよと自分を励まし、自分の中の自分に問いかけ、根気よく待ち、声を聴き、受け止めることができた。

 

相手には何と言おうかと暫く考えたが、言葉は選びつつも素直に自分のことを伝えた。

自分の声を聴いた私は、相手に対する恐れも手放していた。

 

そして2人で、次の予定について率直に打ち合わせができ、私の心はとても満足していた。

 

これまでは相手を優先しながらも自分が疲れ果て、相手に不満を持つことすらあったが、今回は自分の声に従うことで、相手の意向に沿わなかったが、関係がより深まる貴重な体験であった。

 

このようなことを。健全な人なら秒速で当たり前にやっているだろう。

 

私は不器用ながらも、時間をかけて自分の声を聴いて、行動を選択する。

 

自分と仲良く

 

選択はいつも変わっていい

強い人間になりたい

 

決めたことはやらなきゃ

ポジティブにならなきゃ

自己管理出来なきゃ

出来ない人はだめだめ

 


いや何か違うな…

 


ポジティブじゃない時があっていい

ポジティブになれるけど、今は、ポジティブでいないことを自分が選択するだけ

 


ポテチ食べたっていい

ポテチ我慢することもできるこど、今は、ポテチ食べると自分が選択するだけ

 


出来ない自分はダメだって、人間丸ごとを否定しない

単なる選択なんだから

 


選択って変わる

単なる行動だから

 


それがわかって自分否定を手放すと

他人に対する厳しさも手放せる

 


貴方は、今ポテチ食べることにしたのね。

私は、ポテチ食べてもオッケーなんだけど、

今は食べないことを選択するわ。

 


貴方は、今ネガティブなこと言いたいのね。

私は、ネガティブになることもオッケーなんだけど、今はネガティブを手放すことを選択するわ。

 


選択って変わる

行動って変わる

人間の本質じゃない

 

 

ほんの一部が表面に表れただけ

表れ方は、変幻自在

 


上善如水